大日本帝国海軍の歴史(WWII)
第一次世界大戦
- 1914年07月28日:オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告
- 1914年07月31日:ロシア帝国が総動員令を布告
- 1914年08月02日:ドイツ帝国がロシア帝国に宣戦布告
- 1914年08月03日:ドイツ帝国がフランスに宣戦布告
- 1914年08月04日:大英帝国がドイツ帝国に宣戦布告
- 1914年08月23日:日英同盟を結んでいた大日本帝国がドイツ帝国に宣戦布告
比叡
金剛型巡洋戦艦2番艦。「金剛」の建造上の技術は逐一、日本に伝えられ、横須賀海軍工廠で「金剛」から10ヶ月遅れで起工した。
ロンドン海軍軍縮条約の折には一時的に武装や装甲を撤去して練習戦艦に変更。練習戦艦となったことでスケジュールが組みやすく昭和天皇の御召艦としても活躍した。太平洋戦争で最初に沈没した戦艦となった。
榛名
金剛型巡洋戦艦3番艦。主力艦としては初の民間造船所製。
英ヴィッカース社製ではなく国産の35.6cm砲を持つ。姉妹艦の「金剛」はヴィッカース社製。「比叡」は主砲等の部品をヴィッカース社から輸入して作られている。
扶桑
世界最大・最強の純国産超弩級戦艦。弩級戦艦河内型を元に「金剛型」の最新設計を導入して建造した。ただし、生まれながら重大な欠陥を持つ失敗作となった。
一斉射撃をすれば全艦が猛烈な爆風に包まれ上部構造物に障害をもたらし、全長の50%を弾薬庫等の被弾危険箇所が占め、速力も22.5ノットと遅かった。
ユトランド沖海戦(大英帝国VSドイツ帝国)
デンマークのユトランド半島沖で起こった第一次世界大戦最大の海戦。大英帝国の戦艦と巡洋戦艦37隻を含む151隻とドイツ帝国の戦艦と巡洋戦艦21隻を含む99隻の大艦隊同士が激突。
大英帝国が巡洋戦艦「インディファティガブル」「クイーン・メアリ」「インヴィシブル」を含む14隻を失い、ドイツ帝国が巡洋戦艦「リュッツオウ」を含む11隻を失った。
- 6月1日山城
「扶桑」建造中に見付かった問題の修正が試みられた扶桑型2番艦。第一次近代化改装、第二次近代化改装を経て、1935年にはバルジを装着、水平防御甲板も強化、最大速力も24.5ノットとなったが、結局、第一級の戦艦にはなれなかった。
設備を増設していった結果、独特の多層式櫓檣楼を持つ。「山城」の艦橋の頂上は水面から50メートル以上と日本戦艦中最高となっている。
峯風型駆逐艦
八八艦隊計画に基づいて15隻建造した大型駆逐艦。39ノットの高速を発揮。4番艦の「島風(初代)」は当時の大日本帝国海軍最速記録となる速力40.7ノットを記録した。
太平洋戦争時は「島風(初代)」「灘風」が哨戒艇に艦種変更、「矢風」が標的艦、後に特務艦に艦種変更しているが、他の艦は駆逐艦として活躍した。
- 1920年05月29日:峯風(艦これ未実装)
- 1920年03月16日:澤風(艦これ未実装)
- 1920年08月17日:沖風(艦これ未実装)
- 1920年11月15日:島風(初代・未実装)→哨戒艇
- 1921年09月30日:灘風(艦これ未実装)→哨戒艇
- 1920年07月19日:矢風(艦これ未実装)→標的艦
- 1920年09月16日:羽風(艦これ未実装)
- 1921年07月29日:汐風(艦これ未実装)
- 1921年04月01日:秋風(艦これ未実装)
- 1921年08月24日:夕風(艦これ未実装)
- 1921年12月05日:太刀風(艦これ未実装)
- 1921年12月22日:帆風(艦これ未実装)
- 1922年03月31日:野風(艦これ未実装)
- 1922年11月11日:波風(艦これ未実装)
- 1922年07月24日:沼風(艦これ未実装)
長門
完成当時は世界最大・最強・最高速の戦艦。長門型戦艦1番艦。日本が世界に先駆けて建造したユトランド沖海戦の戦訓を取り入れた新しいタイプの戦艦。ポスト・ユトランド型。41cm砲を搭載した世界のビッグ7の第1号。
大井
球磨型軽巡洋艦4番艦。就役後は練習官となっていたが、軽巡洋艦「北上」と共に重雷装艦に改装された。
艦名は英語表記にした場合「oi」となり、海防艦「伊王(io)」と並んで世界一短い艦名だと言われている。
陸奥
長門型戦艦2番艦。ワシントン海軍軍縮条約の「未完成艦は廃艦とする」条件に従いイギリス、アメリカに廃棄を求められたが最終的に廃棄を免れた。
ただ、代わりにアメリカは「コロラド」「 メリーランド」「 ウェストバージニア」の建造続行、イギリスは「ネルソン」「ロドニー」の建造が認められた。この5隻に「長門」「陸奥」を加えた7隻を世界のビッグ7と呼ぶ。
ワシントン海軍軍縮会議
米英・日・仏伊の保有艦の総排水量比率を5:3:1.75に制定。建造中の艦船を廃艦することが決まった。
しかし、1万トン以下で20.3センチ以下の砲を持つ巡洋艦に制限を課さなかった為、各国は条約型巡洋艦の新造を進める結果となった。
- 1922年2月6日鳳翔
世界で初めて誕生した生まれながらの航空母艦。鳳翔以前の航空母艦は別の艦種から改造した改造空母。基準排水量7,470トン。
大日本帝国海軍の艦艇の中で開戦前から終戦まで無傷だったのは鳳翔のみ。また、他に残っていた艦も先に解体された為、航空母艦の最初の艦にして最後まで存在した艦となった。
神風型駆逐艦
八八艦隊計画で主力大型駆逐艦として27隻建造予定だったが、ワシントン海軍軍縮条約により9隻で建造を中止した。
- 1922年12月28日:神風
- 1923年06月16日:朝風
- 1923年05月31日:春風
- 1924年04月05日:松風
- 1924年08月30日:旗風
- 1925年10月30日:追風(艦これ未実装)
- 1925年12月21日:疾風(艦これ未実装)
- 1924年12月29日:朝凪(艦これ未実装)
- 1925年04月24日:夕凪(艦これ未実装)
由良
長良型軽巡洋艦4番艦。2番艦の五十鈴よりも早く就役した。太平洋戦争で最初に沈没した軽巡洋艦となった。
なお、長良型軽巡洋艦3番艦までが八四計画、4番艦以降は八六計画で建造した為、由良以降の艦を「由良型」と呼ぶこともある。
夕張
2890トンの船体に5500トン型軽巡洋艦と同等の砲備雷装を備えながら、5500トン型を超える航洋性能を持つ。速力は35.5ノット。
世界の海軍が驚いた小型軽巡洋艦。平賀譲大佐設計。ただし、小型艦の為、航続力は劣り、水上偵察機も搭載できなかった。
五十鈴
長良型軽巡洋艦2番艦。歴代艦長には兵学校創立以来の秀才・堀悌吉、連合艦隊司令長官・山本五十六、第二航空戦隊司令官・山口多聞がいる。
また、アメリカの空母機動部隊艦載機の攻撃によって損傷した際に主砲を全て40口径八九式12.7cm連装高角砲に換装。水中探信儀、水中聴音機、爆雷投射機も増備し、対空と対潜に特化した5500トン型軽巡の中では異色の防空巡洋艦となった。
川内
川内型軽巡洋艦1番艦。5500トン型軽巡洋艦シリーズの最終型。重油専焼缶を減らして重油石炭混焼缶を増やして重油の消費量減少を図っている。
この為、天龍型、球磨型、長良型の3本煙突とは異なり、川内型は4本煙突となっている。
海大1型
艦隊決戦に用いる海大型潜水艦シリーズの最初の艦。日本の潜水艦で初めて水上機を搭載して発着試験を行った。
艦隊決戦を想定して水上速力23ノットを要求されていたが、高出力のディーゼル機関が無かった為、ディーゼル機関を4基搭載。船殻がめがね型となった。速力は18.4ノット。
- 1924年06月20日:伊51←第四四号潜水艦
給糧艦「間宮」
当時世界最大の給糧艦。基準排水量は15,820トン。航空母艦「蒼龍」の15,900トンとほぼ同じ。
巨大な冷蔵庫・冷凍庫を持ち、18,000人×3週間分の食料を貯蔵。牛舎もある。アイスクリーム、ラムネ、まんじゅう等の嗜好品も製造できる。
阿武隈
長良型軽巡洋艦6番艦。関東大震災で造船所が被害を受け、完成が1年以上も遅れた。
1938年に四連装発射管2基の換装を受け、酸素魚雷の発射能力を得ている。太平洋戦争中に「名取」「五十鈴」も換装を受けた。
神通
川内型軽巡洋艦2番艦。アメリカ海軍少将で戦史研究家のサミュエル・E・モリソンは「神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である」としている。
1927年に島根県美保関沖で夜間無灯火演習中に駆逐艦「蕨」と衝突事故(美保関事件)を起こして大破。艦首の修理にあたって3番艦「那珂」と同じダブルカーブド・バウに変更されている。
那珂
川内型軽巡洋艦3番艦。
2番艦として工事を始めたが、関東大震災で船体を損傷した為、一度解体した上で3番艦として再び工事を始めた。その際に艦首の形状をスプーン・バウからダブルカーブド・バウに改めている。
巡潜1型
巡潜1型は第一次大戦でイギリスの戦艦を沈めたドイツ海軍の潜水艦「Uボート」の中の「U142型」のコピー。通商破壊作戦の為の外洋航行能力、長大な航続力が特徴の大型潜水艦。巡洋潜水艦(巡潜)シリーズの最初の型となる。
また、巡潜1型5番艦「伊号第五潜水艦」は初めて水上偵察機を搭載し、巡潜I型改と呼ばれる。
- 1926年03月10日:伊1
- 1926年07月24日:伊2
- 1926年11月30日:伊3
- 1929年12月24日:伊4
- 1932年07月31日:伊5
睦月型駆逐艦
ワシントン海軍軍縮条約によって大型艦の保有規模に制限が生じた為、制限を受けない駆逐艦の強化に乗り出した。
神風型と船体寸法がほぼ同じだが艦首形状をスプーン・バウからダブルカーブド・バウに変更。兵装も大日本帝国海軍の駆逐艦として初めて61cm魚雷を採用した。
- 1926年03月25日:睦月
- 1925年12月21日:如月
- 1926年08月28日:弥生
- 1926年09月14日:卯月
- 1925年11月15日:皐月
- 1927年03月22日:水無月
- 1926年07月03日:文月
- 1927年04月30日:長月
- 1926年11月20日:菊月
- 1927年05月07日:三日月
- 1927年10月31日:望月
- 1927年07月25日:夕月(艦これ未実装)
古鷹
古鷹型重巡洋艦1番艦。アメリカ海軍の15.2cm砲を持つオマハ級軽巡洋艦を超える巡洋艦として建造した。基準排水量7,950トン。
50口径20cm単装砲6門を搭載している。巡洋艦(軽巡洋艦)として設計していたが、ロンドン海軍軍縮会議の結果、重巡洋艦に分類される。
加古
古鷹型重巡洋艦2番艦。川内型軽巡洋艦4番艦の予定だった「加古」を引き継ぎ、巡洋艦(軽巡洋艦)として設計していた為、重巡洋艦にも関わらず山ではなく川の名前を持つ。
なお、本来は加古型重巡洋艦1番艦になる予定だったが、クレーン事故で船体を損傷したことで就役が遅れてしまい2番艦となった。
赤城
ワシントン海軍軍縮条約によって廃棄することになった天城型巡洋戦艦2番艦を航空母艦に改造。
「フューリアス」の影響を受けて多層式飛行甲板(三段式)を採用。巡洋艦を撃破する為に20cm砲を10門装備していた。基準排水量26,900トン(改装後は36,500トン)。
海大3型a
海大2型を改良した量産型。船体寸法もほぼ同一で主機も同じディーゼル機関を搭載しているが、細かな改正を施して実用的な艦となっている。
- 1927年03月30日:伊153←伊53
- 1927年12月15日:伊154←伊54
- 1927年09月05日:伊155←伊55
- 1928年05月15日:伊158←伊58
機雷潜
第一次世界大戦の戦利艦として獲得したドイツ海軍の機雷敷設潜水艦「U125」のコピー。太平洋戦争序盤で機雷の敷設任務に従事した。
- 1927年03月31日:伊121← 伊21(初代)←第四八潜水艦
- 1927年10月28日:伊122← 伊22(初代)←第四九潜水艦
- 1928年04月28日:伊123← 伊23(初代)←第五○潜水艦
- 1928年12月10日:伊124← 伊24(初代)←第五二潜水艦
青葉
青葉型重巡洋艦1番艦。ワシントン海軍軍縮条約の制限の範囲内で「古鷹」を改良した改古鷹型。基準排水量9,000トン。
古鷹型との最大の違いは兵装で、主砲に50口径20cm連装砲3基6門を搭載している。ただ、青葉型を古鷹型に含める場合もある。
加賀
ワシントン海軍軍縮条約によって廃棄が決定していた加賀型戦艦(改長門型)。航空母艦に改造予定だった天城型巡洋戦艦1番艦が関東大震災によって破壊され、代わりに航空母艦となった。
基準排水量26,900トン(改装後は38,200トン)。「赤城」と同じ方針で改造することになったが煙突の失敗、速力不足、大きさの割に搭載機数が少ない等の問題が多発した。
吹雪型駆逐艦(特型駆逐艦)
重武装かつ凌波性に優れた世界初の近代的な駆逐艦。初期の「特I型(吹雪型)」。艦橋構造物が大型化して搭載砲も異なる「特II型(綾波型)」。機関を改良した「特III型(暁型)」に分けられる。
吹雪沈没後は白雪型駆逐艦、白雪沈没後は初雪型駆逐艦に改定している。
- 1928年08月10日:吹雪
- 1928年12月18日:白雪
- 1929年03月30日:初雪
- 1929年06月29日:深雪
- 1929年05月10日:叢雲
- 1928年07月25日:東雲(艦これ未実装)
- 1928年07月26日:薄雲(艦これ未実装)
- 1928年08月28日:白雲(艦これ未実装)
- 1928年06月30日:磯波
- 1929年06月30日:浦波
海大3型b
海大3型aよりも艦首を鋭角にして凌波性を改善している。
- 1929年03月31日:伊156←伊56
- 1929年12月24日:伊157←伊57
- 1930年03月31日:伊159←伊59
- 1929年12月20日:伊160
- 1928年12月20日:伊163
海大4型
ドイツ・MAN社のラウシェンバッハ式ディーゼルを搭載。魚雷発射管を艦首4門艦尾2門に改め、全長も3m小さくなった。
- 1929年04月06日:伊61
- 1930年04月24日:伊162←伊62
- 1930年08月30日:伊164←伊64
妙高
妙高型重巡洋艦1番艦。八八艦隊計画では20cm砲10門を搭載していた7200トン型巡洋艦を建造する計画だった。
しかし、ワシントン海軍軍縮条約の基準排水量10,000トン以下の制限の中で最大の攻撃力を持つ艦に計画を変更した。ただ、魚雷発射管や兵員室の追加で基準排水量は10,902トンと条約の制限を超過してしまっている。
足柄
妙高型重巡洋艦3番艦。ジョージ6世戴冠記念観艦式に参加した際に「飢えた狼」と評された。
気品、優雅さ、ゆとりが無い姿を揶揄されたと言われている。イギリスは本国と植民地の行き来の為に居住性を重視し、日本は居住性を犠牲にして戦闘能力を追求したことが艦影に影響した。
世界恐慌
ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことをきっかけに世界を襲った大恐慌。
特に失業率40%を突破したドイツでは深刻な社会不安に陥り、ヒトラー率いるナチ党台頭の原因となった。
国政選挙でのナチ党の当選は1928年時点では12議席、しかし、1932年の選挙では全584議席中230議席を獲得して第一党に躍り出ている。
ロンドン海軍軍縮会議
英米・日の補助艦の総排水量比率を米英10:日6.975に制定。
条約型巡洋艦の新造ラッシュで軍備拡張が進んだ為、搭載する主砲によって重巡洋艦、軽巡洋艦に分類し、それぞれに保有量を定めた。
- 4月22日綾波型駆逐艦(特II型)
艦橋構造物が特I型よりも大型化し、特I型とは別のタイプの砲塔を持つ。
- 1930年04月30日:綾波
- 1929年12月24日:敷波
- 1930年06月30日:朝霧(艦これ未実装)
- 1930年12月03日:夕霧(艦これ未実装)
- 1930年11月10日:天霧
- 1931年01月31日:狭霧
- 1931年10月31日:朧
- 1931年07月31日:曙
- 1932年05月19日:漣
- 1931年11月14日:潮
「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」を戦艦に艦種変更
戦艦と同じ攻撃力を持ち、戦艦よりも速いが装甲が薄い巡洋戦艦「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」を第一次近代化改装。艦種を「戦艦」に変更する。
また、1933年から1940年に行った第二次近代化改装ではボイラーと主機を換装。機関出力が2倍となり速力約30ノットの高速戦艦に生まれ変わった。
満州事変
満洲駐留の大日本帝国陸軍「関東軍」が満州を占領。関東軍主導の下、日本租界へ身を寄せていた清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を担ぎ上げて満洲国を建国する。
一方、日本政府は9月19日に緊急閣議を開き、幣原喜重郎外務大臣が外交活動による解決を図ろうとした。
- 1933年5月31日高雄
高雄型重巡洋艦1番艦。高い艦隊指揮能力を付加する為に塔型艦橋を大型化した重巡洋艦。基準排水量11,350トン。
しかし、第四艦隊事件を契機に高雄、愛宕の艦上構造物に対して縮小工事が行われている。
摩耶
高雄型重巡洋艦3番艦。1943年の修理で3番主砲塔を撤去して40口径12.7センチ連装高角砲を2基増設。対空兵装を大幅に強化している。
スタジオジブリの映画で有名な小説『火垂るの墓』の主人公・清太の父が海軍大尉として摩耶に乗り込んでいる。
海大5型
海大4型の改良型。船体形状は改めて推進効率を高めた。主機はズルツァー式ディーゼル機関。アメリカから輸入したMV式水中聴音機を装備している。
- 1932年12月01日:伊165←伊65
- 1932年11月10日:伊166←伊66
- 1932年08月08日:伊67
暁型駆逐艦(特III型)
主機関の出力増大と空気余熱機の採用で航行性能や航続距離が向上している。
- 1932年11月30日:暁
- 1933年03月31日:響
- 1932年08月15日:雷
- 1932年11月15日:電
龍驤
軍令部や軍縮条約に振り回された航空母艦。
ワシントン海軍軍縮条約下でも建造に制限の無い小型空母として起工するもロンドン海軍軍縮条約で制限を課せられ、設計を変更。小さな船体に二段格納庫を持つアンバランスな航空母艦となった。基準排水量12,732トン(改装後は10,600トン)
初春型駆逐艦
ロンドン海軍軍縮条約によって補助艦にまで制限が生じた為、制限を受ける特型駆逐艦よりも小さいが特型と同等の性能を持つ初春型駆逐艦を建造した。
当初は12隻の建造を予定していたが、残りの6隻を設計を改めて白露型として建造された。
- 1933年09月30日:初春
- 1933年09月30日:子日
- 1934年10月31日:若葉
- 1934年09月27日:初霜
- 1935年03月25日:有明(艦これ未実装)
- 1935年03月30日:夕暮(艦これ未実装)
友鶴事件
大日本帝国海軍の「友鶴」が演習中の波浪で転覆、総員113名中死者・行方不明者100名の大事故を起こした。
原因は艤装による復原力不足。設計上は90度傾いても転覆しない復元力を持たせているにも関わらず、「友鶴」は40度程度で転覆した。
海大6型a
マル1計画によって建造された潜水艦。ロンドン海軍軍縮条約の制限によって基準排水量は1,400トンに抑えられている。
- 1934年07月31日:伊168←伊68
- 1935年09月28日:伊169←伊69
- 1935年11月09日:伊70
- 1935年12月24日:伊171←伊71
- 1937年01月07日:伊172←伊72
- 1937年01月07日:伊173
最上
最上型重巡洋艦1番艦。当初は軽巡洋艦として建造する予定だった為に川の名前を持つが軍縮条約失効を見越して重巡洋艦への改装を前提に建造していた。
基準排水量11,200トン。ミッドウェー海戦で僚艦「三隈」と衝突して損傷。修理の際に後部砲塔を撤去して航空巡洋艦に改装された。
第四艦隊事件
大日本帝国海軍の第四艦隊は三陸沖に向かう途中、太平洋で台風に遭遇。駆逐艦「初雪」「夕霧」が波浪で船体を切断。駆逐艦「睦月」が艦橋圧壊。航空母艦「龍驤」は艦橋前面破損。航空母艦「鳳翔」は甲板前端を圧壊するなど艦艇41隻の内19隻が損傷した。
二・二六事件
国体原理派を自任する大日本帝国陸軍の青年将校らが「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げてクーデター未遂事件を起こした。当時は不祥事件と呼ぶ。
彼らの目的は、世界恐慌による大不況、政争を繰り返す政党政治への憎しみから天皇の意思を妨げて国を誤っ方向に導く元老・重臣らを誅伐し、天皇による親政を実現することだった。
- 29日白露型駆逐艦
小さな船体に過剰な武装を搭載した為に復原性が不足していることが分かった「初春型駆逐艦」の設計を変更、武装を練り直した改良型。
- 1936年03月25日:白露
- 1936年09月07日:時雨
- 1937年01月07日:村雨
- 1937年01月07日:夕立
- 1937年08月26日:春雨
- 1937年01月29日:五月雨
- 1937年05月31日:海風
- 1937年06月30日:山風
- 1937年04月30日:江風
- 1937年08月31日:涼風
Z1型駆逐艦(ドイツ)
ドイツが第一次世界大戦後に初めて建造した駆逐艦。
- 1937年04月13日:Z1 レーベレヒト・マース
- 1937年02月27日:Z2 ゲオルク・ティーレ(艦これ未実装)
- 1937年04月08日:Z3 マックス・シュルツ
- 1937年04月13日:Z4 リヒャルト・バイツェン(艦これ未実装)
巡潜3型
マル2計画で建造された巡潜2型の改良型。潜水戦隊旗艦として使用する為、居住区、司令官室、通信能力を強化又は拡大している。
- 1937年03月31日:伊7
- 1938年12月05日:伊8
工作艦「朝日」
1900年に大英帝国のジョン・ブラウン社が建造した大日本帝国の戦艦。日露戦争にも参加した。
1921年9月1日に海防艦、1923年4月1日に練習特務艦、1937年に工作艦となって太平洋戦争に参加した。
朝潮型駆逐艦
海軍軍縮条約の破棄に合わせて建造を開始した大型駆逐艦。船体は特型駆逐艦と同じ大きさに戻った。
朝潮沈没後は満潮型駆逐艦に改定されている。
- 1937年08月31日:朝潮
- 1937年10月31日:大潮
- 1937年10月31日:満潮
- 1937年12月20日:荒潮
- 1938年01月15日:山雲
- 1938年02月10日:夏雲(艦これ未実装)
- 1938年03月31日:朝雲
- 1938年04月30日:峯雲
- 1939年04月30日:霰
- 1939年06月28日:霞
鈴谷
最上型重巡洋艦3番艦。建造中に「第四艦隊事件」が発生。1番艦「最上」は水上機が大破、垂直鋼板が歪んで第二砲塔が旋回不能、外板の溶接部に亀裂が生じて浸水被害を受けた。
この為、最上型の船体を改設計。線図を改めて工事したことで「最上」「三隈」と船体形状が異なっている。このことから最上型ではなく鈴谷型として分類されることもある。基準排水量12,000トン。
蒼龍
「友鶴事件」「第四艦隊事件」を受けて主砲の採用を中止したことで、34.5ノットの優れた速度、複数の対空火器を搭載。実用性の高い艦隊型空母が誕生した。
ロンドン海軍軍縮条約の下で排水量10,500トンの中型空母として建造していたが、建造中に条約破棄が決まり最終的に基準排水量15,900トンの中型空母となった。
海大6型b
第二次軍備補充計画によって建造された潜水艦。海大VI型aと同型だが、船殻の板厚を増し安全潜航深度が85mに増大。燃料搭載量が増えて航続距離も伸びている。
- 1938年08月15日:伊174←伊74
- 1938年12月18日:伊175←伊75
利根
利根型重巡洋艦1番艦。ロンドン海軍軍縮条約に基き、最上型軽巡洋艦を改良した軽巡洋艦として設計・起工した為に川の名前を持つ。
建造途中で軍縮条約が失効。50口径三年式20.3 cm連装砲を搭載する重巡洋艦に設計変更した。
20.3 cm連装砲塔は艦の前部に集中配置。後部を飛行機発進甲板として水上偵察機を6機搭載。航空索敵能力を重視したことから航空巡洋艦にも分類される。
工作艦「明石」
連合艦隊の平時年間修理量の約40%を処理する新造工作艦。艦内には17の工場、ドイツ製工作機械144台を持つ。
太平洋戦争時には南方で破損した艦の修理を担当。この為、アメリカ海軍が最重要攻撃目標に定めている。
第二次世界大戦
- 1939年09月01日:ドイツ軍がポーランドへ侵攻
- 1939年10月06日:ポーランド降伏
- 1940年04月09日:デンマーク降伏
- 1940年06月08日:ノルウェー占領
- 1940年05月15日:オランダ降伏
- 1940年06月22日:フランス降伏
- 1940年07月10日:バトル・オブ・ブリテン
- 1940年09月07日:ロンドン大空襲
陽炎型駆逐艦
速度、航続距離が朝潮型を上回る新鋭駆逐艦。書類上は「甲型駆逐艦」。
陽炎沈没後は不知火型駆逐艦に改定されている。
- 1939年11月06日:陽炎
- 1939年12月20日:不知火
- 1940年01月15日:黒潮
- 1940年01月20日:雪風
- 1940年02月15日:初風
- 1940年08月21日:親潮
- 1940年08月21日:夏潮(艦これ未実装)
- 1940年08月21日:早潮(艦これ未実装)
- 1940年10月26日:天津風
- 1940年11月30日:磯風
- 1940年12月15日:時津風
- 1940年12月15日:浦風
- 1941年01月21日:嵐
- 1941年03月31日:萩風
- 1941年04月25日:谷風
- 1941年04月28日:野分
- 1941年06月30日:浜風
- 1941年07月15日:舞風
- 1941年09月27日:秋雲
ヴィーキンガー作戦(ドイツ)
北海でイギリス漁船を拿捕・撃沈するドイツ軍の作戦。
作戦中に敵と誤認したドイツ空軍のハインケル He111の爆撃によって「Z1」、同じ機による爆撃又はイギリス海軍の機雷によって「Z3」が沈没した。
巡潜丙型
水上偵察機の搭載を廃止し、巡潜3型の線図を流用した巡潜丙型。
- 1940年03月30日:伊16
- 1941年01月31日:伊18
- 1940年09月26日:伊20
- 1941年03月10日:伊22(2代目)
- 1941年10月31日:伊24(2代目)
- 1944年02月29日:伊46
- 1944年07月10日:伊47
- 1944年09月05日:伊48
プリンツ・オイゲン(ドイツ)
アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦3番艦。アドミラル・ヒッパー級は対外的にはワシントン海軍軍縮条約に準じた排水量10,000トンとしていたが、実際は前弩級戦艦並の大型巡洋艦だった。
3番艦「プリンツ・オイゲン」の基準排水量は15,000トン。外観はビスマルク級戦艦に意図的に似せており、イギリス艦隊は「デンマーク海峡海戦」で「プリンツ・オイゲン」を「ビスマルク」と誤認している。なお、強運の巡洋艦としても知られる。
ビスマルク(ドイツ)
ビスマルク級戦艦1番艦。ドイツ海軍最大の戦艦。大和が誕生するまでは世界最大の戦艦だった。
ただし、第一次世界大戦終結から1935年にアドルフ・ヒトラーが再軍備を宣言するまでの長い技術的隔絶もあって設計の古さが目立つ。
日独伊三国同盟
中国国民党の蒋介石を支援するアメリカを牽制する為、ヨーロッパでの戦争に勝利を収めつつあるドイツと手を結ぶ。
松岡洋右外務大臣は三国同盟にソ連を加えた「ユーラシア大陸同盟(日独伊ソ四国同盟構想)」を目指して奔走。結果「日ソ中立条約」が結ばれることになる。
巡潜乙型
無条約時代のマル3計画で建造された巡潜3型の発展型。同時期の巡潜甲型潜水艦の潜水戦隊旗艦設備を除いたタイプとなる。大日本帝国海軍の主力潜水艦。
- 1940年09月30日:伊15(初代)
- 1941年01月24日:伊17
- 1941年04月28日:伊19
- 1941年07月15日:伊21(2代目)
- 1941年09月27日:伊23(2代目)
- 1941年10月15日:伊25
- 1941年11月06日:伊26
- 1942年02月24日:伊27
- 1942年02月06日:伊28
- 1942年02月27日:伊29
- 1942年02月28日:伊30
- 1942年05月30日:伊31
- 1942年04月26日:伊32
- 1942年06月10日:伊33
- 1942年08月31日:伊34
- 1942年08月31日:伊35
- 1942年09月30日:伊36
- 1943年03月10日:伊37
- 1943年01月31日:伊38
- 1943年04月22日:伊39
杵埼型給糧艦
基準排水量は910トン。給糧艦「野埼」の2倍の食料を搭載できる。冷凍糧食や生鮮品に特化している。
- 1940年09月30日:杵埼
- 1942年08月31日:早埼
- 1943年01月30日:白埼
- 1943年05月29日:荒埼
瑞鳳
祥鳳型航空母艦2番艦。航空母艦としては姉の祥鳳よりも先に完成した。アメリカでは祥鳳型ではなく「Zuihō-class aircraft carriers(瑞鳳型航空母艦)」と呼ぶ。
元高速給油艦「高崎」。ロンドン海軍軍縮条約で航空母艦の保有量を制限された為、条約明けに航空母艦に改造できるように作られていた。
巡潜甲型
無条約時代のマル3計画、マル4計画で建造された巡潜3型の発展型。巡潜3型よりも更に大型になった。
- 1941年02月13日:伊9
- 1941年10月31日:伊10
- 1942年05月16日:伊11
デンマーク海峡海戦(イギリスVSドイツ)
デンマーク海峡で行われたドイツ海軍とイギリス海軍による海戦。通商破壊作戦の為に北大西洋に進出しようとするドイツ戦艦ビスマルク、重巡洋艦プリンツ・オイゲンをイギリス艦隊が迎撃。
イギリス海軍は1920年の就役以降、長らく世界最大・最強と言われていた巡洋戦艦フッドを失った。
ビスマルク追撃戦(イギリスVSドイツ)
前日のデンマーク海峡海戦でビスマルクの砲撃を浴びて沈んだ巡洋戦艦フッドの仇を討つ為にイギリス海軍がビスマルクを追撃。
24日に空母ヴィクトリアス艦載機、26日に空母アーク・ロイヤル艦載機、軽巡洋艦シェフィールド、駆逐艦5隻、27日に戦艦キング・ジョージ5世、ロドニー、重巡洋艦ノーフォーク、ドーセットシャーと戦った末にビスマルクは沈没した。
翔鶴
「飛龍」を拡大改良した大型空母。翔鶴型航空母艦1番艦。基準排水量25,675トン。
戦艦「大和」をしのぐ日本海軍最大の十六万馬力の出力を持ち、速さと防御力の両立を実現した。大日本帝国海軍の軍艦では初めてバルバス・バウを採用し、速力は34.2ノット。
夕雲型駆逐艦
速力35ノットに達しない艦があった陽炎型駆逐艦の改良型。船体を延長して速力35ノットを堅持した。書類上は陽炎型駆逐艦と同じ「甲型駆逐艦」。
- 1941年12月05日:夕雲
- 1942年03月14日:巻雲
- 1942年03月28日:風雲
- 1942年06月30日:長波
- 1942年08月18日:巻波(艦これ未実装)
- 1942年08月31日:高波
- 1942年12月29日:大波(艦これ未実装)
- 1943年01月25日:清波(艦これ未実装)
- 1943年04月30日:玉波(艦これ未実装)
- 1943年07月27日:涼波(艦これ未実装)
- 1943年07月31日:藤波
- 1943年07月31日:早波
- 1943年10月15日:浜波
- 1943年11月27日:朝霜
- 1943年12月03日:岸波
- 1943年12月10日:沖波
- 1944年02月20日:早霜
- 1944年03月11日:秋霜(艦これ未実装)
- 1944年05月15日:清霜
ワード号事件
真珠湾攻撃直前に大日本帝国海軍所属の特殊潜航艇がアメリカ海軍の駆逐艦「ワード」に撃沈される事件が発生した。
駆逐艦「ワード」は太平洋艦隊司令部に未識別の潜水艦を撃沈したと打電したが、直後に発生する真珠湾攻撃への警戒にはつながらなかった。
U-511
IXC型潜水艦U-511。UボートIXC型は航続距離が長い大西洋での通商破壊に向いた艦型。同型艦は54隻。
1943年5月10日にフランスのロリアンを出港。8月7日に呉入港。9月16日に大日本帝国海軍の「呂号第五百潜水艦」となるが、実践には投入されずに終戦を迎える。
太平洋戦争
- 1941年12月08日:マレー作戦・香港の戦い(対イギリス戦)
- 1941年12月08日:真珠湾攻撃(対アメリカ戦)
- 1941年12月08日:オランダ、大日本帝国に宣戦を布告
- 1941年12月10日:中華民国、大日本帝国に宣戦を布告
真珠湾攻撃
ハワイオアフ島真珠湾にあるアメリカ海軍太平洋艦隊の基地を日本海軍が航空母艦の艦載機、特殊潜航艇甲標的を用いて攻撃。
アメリカ海軍は戦艦4隻沈没、戦艦1隻中破、戦艦3隻小破、軽巡洋艦2隻大破、軽巡洋艦1隻小破、駆逐艦2隻大破、駆逐艦1隻中破と大きな被害を受けた。
ウェーク島の戦い
大日本帝国海軍によるアメリカ合衆国領ウェーク島攻略戦。21日から始まる第二次攻略戦には航空母艦「飛龍」「蒼龍」が参加。ウェーク島を空襲した。
日本は駆逐艦「疾風」「如月」を失ったが、12月23日にウェーク島を占領した。
- 23日マレー沖海戦
マレー半島東方沖で日本海軍の航空部隊とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘。イギリスは戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」、巡洋戦艦「レパルス」を失う。
イギリスは王太子の称号を冠した最新鋭戦艦を失うと同時に1840年のアヘン戦争以来誇っていたアジアでの絶大な支配力を失った。
大和
史上最大の戦艦大和型戦艦1番艦。前代未聞の巨大砲46cm砲を搭載した大艦巨砲主義の極致。世界最大の戦艦ではあるが搭載砲の割にはコンパクトに作られている。
アメリカ海軍の戦艦がパナマ運河を通る為に艦幅33メートル以下となることから40.6cm三連装砲搭載と推定。その射程30,000メートルを上回る42,000メートルから一方的に砲撃できる46cm三連装砲を搭載することを前提に建造した。
東雲沈没
ボルネオ島ミリ攻略作戦で上陸船団を護衛中に単独行動とり行方不明となった。僚艦「叢雲」が17日午後に海域を捜索し、樽や流出した重油を発見した。
敷設機雷に触れて轟沈したか、オランダ軍のGVT-2所属飛行艇の攻撃を受けて沈没したと考えられている。オランダ軍のGVT-2所属飛行艇は駆逐艦を爆撃したと報告している。
祥鳳
祥鳳型航空母艦2番艦。基準排水量11,200トンの小型空母。太平洋戦争で最初に沈没した航空母艦となった。
元潜水母艦「剣埼」。潜水母艦「剣埼」として1939年1月15日に竣工。1940年11月15日まで活動した後に航空母艦への改装に着手した為、2番艦の「瑞鳳」よりも1年以上遅れて航空母艦となった。
バリクパパン沖海戦
ボルネオ島バリクパパン上陸作戦を軽巡洋艦「那珂」を旗艦とする第4水雷戦隊が護衛するが、オランダ潜水艦「K-18」の雷撃、オランダ軍のB-10爆撃機の空襲で輸送船2隻を失う。
また、続くアメリカ海軍の第59駆逐隊「ジョン・D・フォード」「ポープ」「パロット」「ポール・ジョーンズ」の攻撃によって輸送船3隻、哨戒艇1隻を失った。アメリカ海軍の損害は「ジョン・D・フォード」の小破のみ。
エンドウ沖海戦
マレー半島南部エンドウ沖で行われた海戦。日本の輸送船団を攻撃したイギリス海軍の駆逐艦「サネット」と王立オーストラリア海軍の駆逐艦「ヴァンパイア」を軽巡洋艦「川内」率いる第3水雷戦隊が迎撃。
イギリスは駆逐艦「サネット」を失った。
ジャワ沖海戦
大日本帝国軍の上陸船団攻撃に出撃した連合軍艦隊を日本海軍第11航空艦隊の一式陸攻36機、九六式陸攻24機が攻撃。
連合軍は軽巡洋艦「マーブルヘッド」「デ・ロイテル」が小破した為、撤退した。
ツェルベルス作戦(ドイツ)
イギリス空軍の空襲を繰り返し受けるフランスのブレスト港にあったドイツ海軍の巡洋戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウ、重巡洋艦プリンツ・オイゲンのドイツ本国への帰還作戦。
イギリス軍の雷撃機フェアリー ソードフィッシュ、高速魚雷艇の攻撃を退けながらイギリス海峡を白昼堂々突破した。
- 12日ニューギニア沖海戦
大日本帝国海軍が1月23日に上陸・占領したラバウルをアメリカ海軍の空母「レキシントン」を基幹とした機動部隊が奇襲。
哨戒中の九七式飛行艇が米機動部隊を発見し、ラバウルの第24航空戦隊の一式陸上攻撃機17機が出撃。零戦の護衛が無かった為、F4Fワイルドキャットの迎撃と対空砲火で13機を失った。しかし、アメリカ海軍は奇襲が失敗に終わり撤退した。
バリ島沖海戦
オランダ海軍のカレル・ドールマン少将率いる連合軍艦隊が日本のバリ島攻略船団を攻撃。戦力敵に上回る連合軍艦隊を日本の第八駆逐隊が撃退した。
日本は「満潮」が大破、「大潮」が大破、連合軍は駆逐艦「ピートハイン」が沈没、軽巡洋艦「トロンプ」が中破、駆逐艦「スチュワート」が小破した。
エルウッド製油所砲撃作戦
伊17がカリフォルニア州サンタバーバラ沖から14cm砲を用いてエルウッド石油製油所を砲撃。大日本帝国海軍によるアメリカ本土攻撃はアメリカ政府、アメリカ国民に大きな動揺を与えた。
結果、2月25日に日本の航空機による空襲を受けたと勘違いしたアメリカ陸軍が迎撃戦を展開する「ロサンゼルスの戦い」が発生する。
防空レーダーが飛行物体の飛来を感知。時速320kmで移動する飛行物体に対して1430発の高射砲を発射。カーチスP-40戦闘機が迎撃。20分に渡って目撃された飛行物体はどこかに消えた。対空砲火の破片に当たったり、日本軍機襲来に驚いて心臓麻痺を起こすなど計6人が死亡した。
スラバヤ沖海戦
インドネシアのスラバヤ沖で行われた大日本帝国海軍とアメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリアの各国で構成した連合軍ABDA艦隊による海戦。日本は資源地帯のオランダ領インドネシア占領を目指していた。
連合軍は重巡洋艦「エクセター」、軽巡洋艦「デ・ロイテル」「ジャワ」、駆逐艦「コルテノール」「エレクトラ」「ジュピター」「エンカウンター」「ポープ」を失う。
- 3月1日バタビア沖海戦
ジャワ島のバタビア(ジャカルタ)沖で行われた大日本帝国海軍とスラバヤ沖海戦で敗れた残存艦隊による海戦。日本の輸送船団を攻撃していた残存艦隊を第3護衛隊、西方支援隊が迎撃した。
連合軍は重巡洋艦「ヒューストン」、軽巡洋艦「パース」、駆逐艦「エヴェルトセン」を失う。
- 3月1日チラチャップ沖海戦
重巡洋艦「高雄」「愛宕」「摩耶」、駆逐艦「野分」「嵐」による通商破壊作戦。
商船の拿捕・撃沈に加えてイギリス海軍の駆逐艦「ストロングホールド」、アメリカ海軍の駆逐艦「ピルスバリー」、砲艦「アッシュビル」、王立オーストラリア海軍の護衛艦「ヤラ」を撃沈している。
クリスマス島の戦い
大日本帝国海軍によるイギリスの植民地クリスマス島攻略作戦。軽巡洋艦「那珂」「名取」「長良」ほか駆逐艦8隻が攻略部隊となったが、クリスマス島では「イギリスの支配から解放する」という日本の呼びかけに応じてインド人兵士が反乱。
インド人兵士がイギリス軍指揮官を殺害した為、抵抗を受けることなく占領できた。しかし、米潜水艦「シーウルフ」の雷撃を受けて「那珂」が航行不能となっている。
- 4月1日セイロン沖海戦
インド洋のセイロン島沖で行われた第一航空艦隊、第一南遣艦隊とイギリス海軍の東洋艦隊による海戦。
東洋艦隊は旗艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を失っていたが本国艦隊からの増援を受けて戦艦5隻、空母3隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦15隻の大艦隊となっていた。
イギリスは軽空母「ハーミーズ」、重巡「コーンウォール」「ドーセットシャー」、駆逐艦「ヴァンパイア」「テネドス」を失う。
- 4月9日ドーリットル空襲
大日本帝国海軍のエルウッド製油所砲撃作戦によって、本土への先制攻撃を受けたアメリカは東京への空襲計画を立案。
航続距離の長いアメリカ陸軍の双発中型爆撃機B-25を空母「ホーネット」から発進させ、東京を爆撃し、同盟国の中華民国に着陸させる「ドーリットル空襲」を実行した。ドーリットルは指揮官の名前。
隼鷹
飛鷹型航空母艦2番艦。元々は日本政府が戦時に航空母艦に改造する条件で建造費を補助した日本郵船の橿原丸級貨客船「橿原丸」。
航空母艦としては1番艦の「飛鷹」よりも先に完成した。なお、大日本帝国海軍の公式類別上は隼鷹型航空母艦1番艦となっている。基準排水量は24,140トン。
マダガスカルの戦い(アイアンクラッド作戦)
フランスの植民地だったアフリカ大陸南東マダガスカル島で行われたヴィシー・フランス軍&大日本帝国海軍とイギリス軍&イギリス連邦・南アフリカ連邦軍、南ローデシア軍の戦い。
連合軍が仏領マダガスカル島ディエゴ・スアレス攻略作戦「アイアンクラッド作戦」を発動。要請を受けた大日本帝国海軍の潜水艦「伊10」「伊16」「伊20」がイギリス軍の油槽船「ブリティッシュ・ロイヤルティ」を撃沈。戦艦「ラミリーズ」に損傷を与えた。
- 11月6日珊瑚海海戦
ポートモレスビー攻略を目指す大日本帝国海軍とアメリカ海軍・王立オーストラリア海軍による海戦。
歴史上初の航空母艦同士の海戦。日本は軽空母「祥鳳」を失い、連合軍は航空母艦「レキシントン」、油槽船「ネオショー」、駆逐艦「シムス」を失う。
また、この戦いで「翔鶴」が大破。呉に寄港して修理することになった。
ダッチハーバー空襲(AL作戦)
ミッドウェー作戦の陽動の為、アリューシャン列島ウナラスカ島ダッチハーバーにあるのアメリカ海軍基地を航空母艦「龍驤」「隼鷹」の艦載機が攻撃した。
ダッチハーバー空襲は成功したが、肝心のミッドウェー作戦の陽動には失敗した。また、2日目の空襲で「龍驤」零戦隊の古賀忠義一飛曹機が被弾。アクタン島に不時着している。
- 4日ミッドウェー海戦
ミッドウェー島攻略を目指す大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。
日本は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の航空母艦4隻、重巡洋艦「三隈」を失い、アメリカは航空母艦「ヨークタウン」、駆逐艦「ハンマン」を失う。
真珠湾攻撃で戦艦4隻、オーストラリア空襲、セイロン沖海戦で航空母艦1隻を沈め、敵航空機に至っては471機を撃墜と連戦連勝していた世界最強の空母機動部隊「南雲機動部隊」を一挙に失い、太平洋戦争の転換点になったと言われている。
- 6月7日キスカ島・アッツ島占領(AL作戦)
ダッチハーバー空襲の2日後の6月6日にアッツ島、7日にキスカ島を占領した。アメリカは第二次世界大戦で初めて自国の領土を失った。
アッツ島攻略には第一水雷戦隊と大日本帝国陸軍北海支隊、キスカ島攻略には第二一戦隊、第二二戦隊、第十三駆潜隊と大日本帝国海軍舞鶴第三陸戦隊があたった。
- 7日伊168、空母「ヨークタウン」と駆逐艦「ハムマン」を撃沈
ミッドウェー海戦で飛龍艦載機の攻撃を受けて大破していた空母「ヨークタウン」を雷撃。
魚雷4本の内1本が命中して「ヨークタウン」は沈没。「ヨークタウン」の復旧作業の為に横付けしていた駆逐艦「ハムマン」も1本が命中して轟沈した。
秋月型駆逐艦
防空巡洋艦の代わりに建造した駆逐艦。「乙型駆逐艦」「月型」とも呼ぶ。「秋月型」「冬月型」「満月型」と区別する場合もある。
12.7センチ高角砲に替わって、より長射程、高初速の10センチ高角砲を装備している。
- 1942年06月11日:秋月
- 1942年08月31日:照月
- 1942年12月29日:涼月
- 1942年12月29日:初月
- 1943年03月31日:新月(艦これ未実装)
- 1943年05月31日:若月(艦これ未実装)
- 1944年03月31日:霜月(艦これ未実装)
冬月型
- 1944年05月25日:冬月(艦これ未実装)
- 1944年12月28日:春月(艦これ未実装)
- 1945年01月31日:宵月(艦これ未実装)
- 1945年04月08日:夏月(艦これ未実装)
満月型
- 1945年01月03日:満月(工事中止)
- 1944年12月26日:花月(艦これ未実装)
アクタン・ゼロ
アメリカ海軍の哨戒用飛行艇PBYがアクタン島に不時着していた三菱零式艦上戦闘機二一型を発見。
零戦の飛行テストを繰り返した結果、時速370kmを超えるとローリング機動が遅くなる、急降下時にエンジンが停止する等といった欠点を見付け、対零戦戦闘において有利な情報を得た。
飛鷹
飛鷹型航空母艦1番艦。元々は日本政府が戦時に航空母艦に改造する条件で建造費を補助した日本郵船の橿原丸級貨客船「出雲丸」。
商船改造空母の為、速力は25.5ノットと低速だが航空機搭載能力は「蒼龍」に匹敵する。基準排水量は24,240トン。
海大7型(新海大型)
マル4計画によって建造された潜水艦。海大VI型とほぼ同寸法。艦尾発射管を廃止して、魚雷発射管が艦首に全て集められた。
- 1942年08月04日:伊176
- 1942年12月28日:伊177
- 1942年12月26日:伊178
- 1943年06月18日:伊179
- 1943年01月15日:伊180
- 1943年05月24日:伊181
- 1943年05月10日:伊182
- 1943年10月03日:伊183
- 1943年10月15日:伊184
- 1943年09月23日:伊185
ガダルカナル島の戦い
7月6日に大日本帝国海軍の設営隊が上陸。翌8月5日にガダルカナル陸上飛行基地の滑走路の第1期工事が完了したが、8月7日にアメリカ海軍の第1海兵師団上陸して占領。8月12日にヘンダーソン飛行場とした。
以降、大日本帝国陸軍による2度の総攻撃、海軍による第一次ソロモン海戦、第二次ソロモン海戦、サボ島沖海戦、ヘンダーソン基地艦砲射撃、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦、ルンガ沖夜戦、レンネル島沖海戦、ケ号作戦の舞台となった。
- 1943年2月7日第一次ソロモン海戦
ソロモン諸島サボ島沖で行われた大日本帝国海軍と連合国軍による海戦。鳥海を旗艦とする第八艦隊が自軍を上回る部隊が待つ敵泊地へ突入、連合国軍は重巡洋艦「キャンベラ」「ヴィンセンス」「クインシー」「アストリア」、駆逐艦「ジャービス」を失った。
しかし、夜戦を終えて味方の制空圏にまで離脱し、速力を落とした所を米潜水艦「S44」に雷撃され、重巡洋艦「加古」を失っている。
- 9日第二次ソロモン海戦
ソロモン諸島の北で戦われた日本軍とアメリカ軍による海戦。ガダルカナル島を奪回支援を行う第二艦隊、第三艦隊が空母3隻を主力とするF・J・フレッチャー中将率いる第61任務部隊と会敵。
日本は軽空母「龍驤」を失う。アメリカ海軍の被害は空母「エンタープライズ」中破に終わった。
ラビの戦い
東部ニューギニアのミルン湾ラビで行われた大日本帝国海軍陸戦隊とオーストラリア・アメリカ連合軍による戦闘。
ミルン湾沿岸のラビには第8艦隊司令部が推定していた以上の連合軍がおり敗退した。また、日本は駆逐艦「弥生」を失った。
- 9月6日大鷹
大鷹型航空母艦1番艦。元々は日本政府が戦時に航空母艦に改造する条件で建造費を補助した日本郵船の豪華客船新田丸級三姉妹船「春日丸」。
特設航空母艦「春日丸」としては1941年9月5日に就役しており、名を「大鷹」に改めて正規の航空母艦となったのが1942年8月31日となる。基準排水量は17,830トン。
雲鷹(艦これ未実装)
大鷹型航空母艦2番艦。元々は日本政府が戦時に航空母艦に改造する条件で建造費を補助した日本郵船の豪華客船新田丸級三姉妹船「八幡丸」。
特設航空母艦「八幡丸」としては1942年5月31日に竣工しており、名を「雲鷹」に改めて正規の航空母艦となったのが1942年8月31日となる。
アメリカ本土空襲
9月9日に「伊25」が焼夷弾2発を搭載できるよう改造した零式小型水上偵察機を用いてオレゴン州ブルッキングス近郊の森林部を空襲した。
9月29日にはオレゴン州オーフォード近郊の森林部を空襲した。アメリカ国民は本土空襲に怯え、大都市には空襲に備えたシェルターや防空壕が設置されるようになった。
戦後、零式小型水上偵察機のパイロットだった藤田信雄飛行兵曹長はオレゴン州ブルッキングス市から「歴史上唯一アメリカ本土を空襲した敵軍の英雄」として歓迎を受け、名誉市民の称号を贈られている。
- 29日伊19、空母「ワスプ」を撃沈し、同時に戦艦撃破と駆逐艦撃沈
ソロモン諸島サンクリストバル島南東でアメリカ海軍の空母「ワスプ」を雷撃。魚雷6本の内3本が命中して「ワスプ」は爆発炎上。最終的に僚艦が雷撃処分した。
また、残り3本が10km先を航行中の戦艦「ノースカロライナ」と駆逐艦「オブライエン」に1本ずつ命中。戦艦「ノースカロライナ」と駆逐艦「オブライエン」は大破。
駆逐艦「オブライエン」は応急修理をしてサンフランシスコへ向かったが途中で沈没した。
サボ島沖海戦
ソロモン諸島サボ島沖で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。ヘンダーソン飛行場の砲撃に向かう重巡洋艦「青葉」を旗艦とする第六戦隊がアメリカ艦隊を味方と誤認。
アメリカ側もT字戦法を維持しようと回頭しようとした際に隊列が乱れ、駆逐艦「ダンカン」「ファレンホルト」が味方の砲撃を受ける形となった。日本は重巡洋艦「古鷹」、駆逐艦「吹雪」を失い、アメリカは駆逐艦「ダンカン」を失った。
また、第六戦隊救援に向かった駆逐艦「叢雲」が敵航空機の攻撃を受けて航行不能(後に雷撃処分)、その救援に向かった「夏雲」も航空機の攻撃を受けて沈没した。
ヘンダーソン基地艦砲射撃
ガダルカナル島のアメリカ軍飛行場ヘンダーソン基地に対して戦艦「金剛」「榛名」が三式弾、零式弾、一式弾、計966発を用いた艦砲射撃を行う。
ヘンダーソン飛行場は火の海と化したが、攻撃の少し前に完成していた第2飛行場の存在によって米航空隊は日本のガダルカナル島上陸部隊への攻撃を継続できた。基地射撃には成功したが目的(上陸部隊への攻撃阻止)は果たせなかった。
南太平洋海戦
ソロモン諸島サンタ・クルーズ諸島沖で新生第一航空戦隊「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」擁する南雲機動部隊とミッドウェー海戦の仇敵「エンタープライズ」「ホーネット」擁する米空母機動部隊が戦闘。
第二航空戦隊「隼鷹」を加えた航空母艦4隻の艦載機によって「ホーネット」を沈め、 「エンタープライズ」を中破させることに成功。アメリカ海軍は一時的に稼働する空母が無くなった。これを「史上最悪の海軍記念日」と言う。
阿賀野
阿賀野型軽巡洋艦1番艦。基準排水量6,652トン。速力35ノット。大日本帝国海軍が水雷戦隊旗艦用に建造した最後の艦型となった。
また、5500トン型軽巡洋艦シリーズが採用していた「14cm速射砲」より大きな「四十一式 15.2cm(50口径)連装砲」を搭載している。前身は金剛型巡洋戦艦の副砲。
第三次ソロモン海戦(第1夜戦)
ソロモン海で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。戦艦「比叡」を旗艦とするガダルカナル島砲撃艦隊はヘンダーソン飛行場砲撃に向け出撃し、ガダルカナルへの輸送船団を護衛するダニエル・キャラハン少将率いる第67任務部隊4群と会敵。
日本は戦艦「比叡」、重巡洋艦「衣笠」、駆逐艦「暁」「夕立」を失い、アメリカは軽巡洋艦「アトランタ」「ジュノー」、駆逐艦「アーロン・ワード」「カッシング」「ラフィー」「バートン」「モンセン」を失う。
第三次ソロモン海戦(第2夜戦)
ソロモン海で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。戦艦「霧島」によるヘンダーソン飛行場砲撃作戦を実施。日本軍輸送船団撃退を目指すウィリス・A・リー少将率いる第64任務部隊と会敵。
日本は戦艦「霧島」、駆逐艦「綾波」を失い、アメリカは駆逐艦「ウォーク」「プレストン」「ベンハム」を失う。
- 11月15日冲鷹(艦これ未実装)
元々は日本政府が戦時に航空母艦に改造する条件で建造費を補助した日本郵船の豪華客船新田丸級三姉妹船「新田丸」。
サンフランシスコ航路に就航していたが、日米の関係悪化後に航路がストップ。1942年8月に大日本帝国海軍が買収して航空母艦に改造された。1番艦、2番艦とは違って特設航空母艦時代は無い。
ルンガ沖夜戦
鼠輸送(東京急行)を阻止する為、カールトン・ライト少将率いる第67任務部隊が日本の輸送部隊を攻撃。
揚陸準備に入っていた大日本帝国海軍は奇襲を受けた形となったが、警戒隊の駆逐艦「高波」が集中攻撃を浴びている間に態勢を立て直して雷撃。重巡洋艦「ノーザンプトン」が沈没、重巡洋艦「ミネアポリス」「ニューオリンズ」「ペンサコラ」が大破した。
龍鳳
元潜水母艦大鯨。ロンドン海軍軍縮条約で航空母艦の保有量を制限された為、条約明けに航空母艦に改造できるように作られていた。基準排水量は13,360トン。
潜水母艦「大鯨」としては1934年3月31日に就役しているが、船体全てを電気溶接したことや大日本帝国海軍の大型艦艇で初めてディーゼルエンジンを搭載したことによってトラブルが続出。空母への改造時に陽炎型駆逐艦と同じタービンエンジンに換装している。
レンネル島沖海戦
ソロモン諸島レンネル島沖で発生した大日本帝国海軍航空部隊とアメリカ海軍の艦隊による海戦。
大日本帝国海軍の一式陸攻、九六式陸攻が重巡洋艦「シカゴ」を撃沈、駆逐艦「ラ・ヴァレット」を大破させた。ただ、空母「エンタープライズ」直援機、対空砲火によって陸攻10機を失った。
- 30日ガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)
ヘンダーソン飛行場基地奪回を諦め、ガダルカナル島撤退を決めた日本軍によるガダルカナル島撤退作戦。撤退を隠す為に航空攻撃、輸送が続けられた。この撤退作戦の折に駆逐艦「巻雲」が触雷。航行不能となりて処分された。
アメリカ軍は日本軍が戦力を増援していると考えて阻止に動き、撤退作戦が完了した翌日朝になって初めて撤退に気付いた。
- 7日ビスマルク海海戦
ビスマルク海からダンピール海峡にかけての海域で連合国軍が日本軍の輸送船団を攻撃した戦い。
日本は輸送船8隻と駆逐艦「白雪」「荒潮」「時津風」「朝潮」を失った。ダンピールの悲劇と呼ぶ。なお、連合軍は新しい爆撃「反跳爆撃(Skip bombing)」を実践している。
- 3日アッツ島沖海戦
アッツ島沖で行われた大日本帝国海軍艦隊とアメリカ艦隊の海戦。アメリカ海軍が日本のアリューシャン列島への輸送を阻止する為に艦隊を派遣、輸送船護衛に当たっていた第五艦隊の部隊と会敵する。
日本は重巡洋艦「那智」が小破、アメリカは重巡洋艦「ソルトレイクシティ」ほか駆逐艦2隻が小破した。
い号作戦
大日本帝国海軍が空母艦載機を陸上基地で大規模に運用し、ガダルカナル島及びミルン湾及びオロ湾在拍方面敵艦船、ポートモレスビー飛行場及びラビ東飛行場を攻撃した。
ソロモン諸島、ニューギニア方面の敵船団、航空兵力の撃破。そして、同地域への輸送を円滑に進めることが目的だった。しかし、61機の航空兵力を失い、空母機動部隊の戦力を大きく低下させる結果となった。
- 4月15日海軍甲事件(ヴェンジェンス作戦)
アメリカ海軍情報局が連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将の最前線への視察計画の暗号を解読。山本五十六より優れた司令官がいないこと、時間に通りに行動することから、山本長官殺害を決行した。
アメリカ軍のP-38戦闘機18機がブーゲンビル上空で山本長官の乗る一式陸上攻撃機1番機、連合艦隊参謀長宇垣纏中将の乗る2番機を撃墜(不時着後に救助)。護衛の零戦6機はP-38戦闘機1機を撃墜して帰投した。
陽炎・黒潮・親潮沈没
輸送任務中にでアウェイ島北西で機雷に接触して「黒潮」が沈没。
同じく触雷して航行不能に陥っていた「陽炎」「親潮」もSBD ドーントレス 19機とカーチス P-40 8機の攻撃を受けて沈没した。
島風
次世代の艦隊型駆逐艦として16隻の建造を予定していた島風型駆逐艦。水雷決戦を目的としていた艦隊型駆逐艦の最高峰。書類上の分類は「丙型駆逐艦」。
速力は40.37ノット。島風型用に開発した駆逐艦最大の5連装魚雷発射管を搭載している。建造に手間が掛かること、防空能力の高い秋月型駆逐艦を優先したことから島風型は島風1隻に終わった。
コロンバンガラ島沖海戦
ソロモン諸島コロンバンガラ島沖で行われた日本海軍の輸送部隊とアメリカ海軍による海戦。
輸送隊を護衛する第二水雷戦隊と鼠輸送(東京急行)阻止任務を帯びた第36.1任務群が会敵。軽巡洋艦「神通」が探照灯を照射して集中砲撃を受ける中、駆逐艦5隻が魚雷31本を発射して軽巡洋艦「リアンダー」が大破。
二度目の魚雷発射では駆逐艦「グウィン」を撃沈、軽巡洋艦「ホノルル」「セントルイス」が大破。同時に駆逐艦「ブキャナン」と「ウッドワース」が衝突して大破。日本は軽巡洋艦「神通」を失ったが敵を撃退し、輸送作戦は成功した。
- 13日夕暮・清波沈没
ラバウルからコロンバンガラ島への輸送任務を終えて帰還中、チョイセル島沖でヘンダーソン飛行場から飛び立ったTBF アヴェンジャーの攻撃を受けて「夕暮」が沈没。
「夕暮」の生存者の救助を行っていた「清波」も攻撃を受けて沈没した。
有明・三日月沈没
陸戦隊及び物資を搭載してツルブに向かう途中で「三日月」「有明」が座礁。「有明」は離礁に成功したがB-25爆撃機の攻撃を受けて沈没した。
また、B-25爆撃機の攻撃で損傷した「三日月」は駆逐艦「秋風」の到着をもって放棄された。
- 29日キスカ島撤退作戦
アリューシャン列島キスカ島の守備隊撤収作戦。第一水雷戦隊がアメリカ軍が包囲するキスカ島に濃霧に紛れて突入。無傷で守備隊全員の撤収に成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれる。
アメリカ軍は8月15日に兵力34,000をもって上陸。同士討ちの為、日本軍がいないにも関わらず死者100名を出しながらキスカ島を奪還した。
巡潜乙型改1
マル急計画で建造された巡潜乙型の改良量産型。量産の為に主機を巡潜3型と同じ艦本式1号甲10型ディーゼル2基とした。
- 1943年07月31日:伊40
- 1943年09月18日:伊41
- 1943年11月03日:伊42
- 1943年11月05日:伊43
- 1944年01月31日:伊44
- 1943年12月28日:伊45
千歳
元水上機母艦。千歳型航空母艦1番艦。ロンドン海軍軍縮条約で航空母艦の保有量を制限された為、条約明けに航空母艦に改造できるように作られていた。外観は龍鳳型・祥鳳型とよく似ている。
水上機母艦としては1938年7月25日に竣工している。
ベラ湾夜戦
コロンバンガラ島への輸送任務に従事していた駆逐艦4隻と「東京急行(鼠輸送)」遮断任務にあたっていたアメリカ海軍の駆逐艦6隻による海戦。日本は駆逐艦「萩風」「嵐」「江風」を失う。
なお、8月2日に駆逐艦「天霧」がアメリカ海軍の魚雷艇「PT-109」と衝突して真っ二つにしているが、その魚雷艇の艦長が後のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディだった。ケネディら乗組員は6キロ先の小島に泳ぎ着き、6日後に救助された。
- 7日第一次ベララベラ海戦
ソロモン諸島ベラ湾で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。
ベララベラ島に増援を送る輸送部隊と駆逐艦4隻がアメリカ海軍の駆逐艦4隻と会敵。補助艦艇に被害を出したが輸送には成功した。
第二次ベララベラ海戦
ベララベラ島沖で行われた大日本帝国海軍のベララベラ島撤収部隊とアメリカ海軍による海戦。
伊集院松治大佐率いる第三水雷戦隊とフランク・R・ウォーカー大佐率いる第4駆逐部隊が戦闘。日本は駆逐艦「夕雲」を失い、アメリカは駆逐艦「シャヴァリア」を失った。
- 7日ラバウル空襲
連合軍による日本軍の拠点ラバウルへの空襲。10月12日に爆撃機349機による大空襲が行われ、その後も空襲が続いた。
11月2日にはブーゲンビル島沖海戦から帰投したばかりの連合襲撃部隊が被害に遭い、11月5日には新たにラバウルに投入された重巡洋艦7隻を含む遊撃部隊が被害に遭い、11月11日には第二水雷戦隊の駆逐艦「涼波」が沈没した。
- 11月11日ろ号作戦
大日本帝国海軍がブーゲンビル島周辺の連合軍上陸船団と艦隊に対して行なった航空攻撃。
敵の進攻を一時的に阻止し、防衛体制強化の時間を稼ぐことが目的だったが、投入した第一航空戦隊の艦載飛行機隊搭乗員の約5割が戦死、艦載機121機を失い、一航戦飛行機隊が事実上壊滅。作戦は失敗に終わった。
- 11月12日ブーゲンビル島沖海戦
ブーゲンビル島エンプレス・オーガスタ湾で行われた日本海軍連合襲撃部隊とアメリカ海軍第39任務部隊による海戦。大森仙太郎少将率いる連合襲撃部隊をアーロン・S・メリル少将率いる第39任務部隊が迎撃。
戦闘隊形の複雑さから軽巡洋艦「川内」が駆逐艦「時雨」に急接近して隊列が乱れ、駆逐艦「五月雨」と「白露」が衝突。駆逐艦「初風」も重巡洋艦「妙高」と衝突して艦首を切断。結局、日本は軽巡洋艦「川内」と駆逐艦「初風」を失った。
- 2日「伊勢」「日向」を航空戦艦に改装
ミッドウェー海戦で空母が足りなくなった為、戦艦の空母改造を検討。戦艦「日向」が第5砲塔爆発事故で5番砲塔を失っていたことから航空戦艦への改装が決定した。
5番、6番砲塔及び50口径三年式14cm砲を撤去して飛行甲板と格納庫を設けた。彗星14機、瑞雲8機を搭載予定だった。ただ、飛行甲板が空母の半分のスペースしか無い為、着艦ができず、同じ作戦行動を取っている空母に着艦する必要があった。
海鷹(艦これ未実装)
元々は日本政府が戦時に航空母艦に改造する条件で建造費を補助した大阪商船の貨客船「あるぜんちな丸」。
1942年5月1日に特設輸送艦として徴用したが、ミッドウェー海戦後の6月30日に急遽空母に改造することが決まった。
セント・ジョージ岬沖海戦
ニューアイルランド島セント・ジョージ岬東方海上で行われた大日本帝国海軍の輸送部隊とアメリカ海軍の第23駆逐部隊による海戦。
鼠輸送(東京急行)を察知したアメリカ海軍の第23駆逐部隊が輸送部隊を迎撃。日本は輸送任務についていた駆逐艦「夕霧」、警戒に当たっていた「巻波」「大波」を失った。
- 25日伊175、護衛空母「リスカム・ベイ」を撃沈
ギルバート諸島周辺海域でアメリカ海軍の第52.3任務群の輪形陣をかいくぐって護衛空母「リスカム・ベイ」を雷撃。「リスカム・ベイ」は大爆発を起こして沈没した。
神鷹
元々は第二次世界大戦勃発時に神戸港に係留されていたドイツ客船「シャルンホルスト」。
第二次世界大戦勃発によってドイツに帰れなくなっていた「シャルンホルスト」を日本海軍が買収して航空母艦に改装した。乗組員・乗客は独ソ戦が始まる前にシベリア鉄道を経由してドイツに帰国している。
巡潜丙型改
巡潜乙型改2の船型から航空設備を撤去した巡潜丙型改。水上機の格納筒があった場所には14cm単装砲を搭載している。
- 1943年12月28日:伊52(2代目)
- 1944年02月20日:伊53(2代目)
- 1944年04月20日:伊55(2代目)
トラック島空襲(海軍丁事件)
アメリカ海軍の機動部隊による日本軍の拠点トラック島への空襲。2月4日のアメリカ海軍の偵察を受けて、10日に連合艦隊旗艦の戦艦「武蔵」が日本本土、第二航空戦隊がパラオへ退避した。
しかし、15日に日本へ出港した軽巡洋艦「阿賀野」はトラック沖で米潜水艦「スケート」に雷撃されて沈没。17日の空襲では軽巡洋艦「那珂」、練習巡洋艦「香取」、駆逐艦「追風」「舞風」が沈没。翌18日には「太刀風」「文月」が沈没した。
巡潜乙型改2
マル追計画で計画された戦時急造の巡潜乙型。巡潜乙型の最終型。出力も速力も低下したが航続距離は伸びている。
- 1944年03月31日:伊54(2代目)
- 1944年06月08日:伊56(2代目)
- 1944年09月07日:伊58(2代目)
松型駆逐艦
太平洋戦争中に建造した戦時量産型駆逐艦。書類上は「丁型駆逐艦」
- 1944年04月28日:松(艦これ未実装)
- 1944年06月16日:竹(艦これ未実装)
- 1944年06月28日:梅(艦これ未実装)
- 1944年06月10日:桃(艦これ未実装)
- 1944年07月25日:桑(艦これ未実装)
- 1944年08月14日:桐(艦これ未実装)
- 1944年08月25日:杉(艦これ未実装)
- 1944年08月10日:槇(艦これ未実装)
- 1944年09月03日:樅(艦これ未実装)
- 1944年09月30日:樫(艦これ未実装)
- 1944年09月30日:榧(艦これ未実装)
- 1944年11月26日:楢(艦これ未実装)
- 1944年11月25日:櫻(艦これ未実装)
- 1945年01月18日:柳(艦これ未実装)
- 1944年11月30日:椿(艦これ未実装)
- 1944年09月30日:檜(艦これ未実装)
- 1944年10月30日:楓(艦これ未実装)
- 1944年12月15日:欅(艦これ未実装)
丁型(潜輸大型)
輸送任務の為に建造した潜水艦。魚雷発射管は持っている。浮上航行時にレーダー波を海面にそらす為、セイル下部を逆台形に設計。世界で始めて船体にステルス性を付与した。
- 1944年05月25日:伊361
- 1944年05月25日:伊362
- 1944年07月08日:伊363
- 1944年06月14日:伊364
- 1944年08月01日:伊365
- 1944年08月03日:伊366
- 1944年08月15日:伊367
- 1944年08月25日:伊368
- 1944年10月09日:伊369
- 1944年09月04日:伊370
- 1944年10月02日:伊371
- 1944年11月08日:伊372
マリアナ沖海戦
マリアナ諸島周辺で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍の空母機動部隊による海戦。マリアナ諸島に侵攻するアメリカ海軍を大日本帝国海軍が迎撃した。
米空母機動部隊は日本空母の第一次攻撃隊をレーダーで早期に探知。万全の態勢で待ち構え、第一次攻撃隊64機のうち41機を撃墜。第二次攻撃隊も128機のうち99機を失い、アメリカから「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄された。
航空母艦「大鳳」が米潜水艦「アルバコア」に雷撃されて損傷。「翔鶴」も米潜水艦「カヴァラ」に雷撃されて沈没。「翔鶴」沈没から間もなく「大鳳」が突如爆発して沈没した。
- 20日スカベンジャー作戦
アメリカ海軍機動部隊による小笠原諸島への攻撃作戦。日本は駆逐艦「松」、輸送船9隻を含む艦船12隻を失う。
アメリカ海軍はその後も小笠原諸島を攻撃し続けたが、その際に父島地上砲台の対空砲火を浴びて後のアメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュの乗機が撃墜されている。ブッシュ少尉は味方に救助された。
- 5日台湾沖航空戦
沖縄・台湾・フィリピン北部の航空基地を攻撃したアメリカ海軍の空母機動部隊を大日本帝国海軍の基地航空部隊が迎撃。
アメリカ海軍の重巡洋艦「キャンベラ」、軽巡洋艦「ヒューストン」を大破に追い込むが、日本は航空機312機を失い、対機動部隊戦法の中核と期待された「T攻撃部隊」のほとんどを消耗。レイテ沖海戦へ参加できなくなった。
- 10月16日愛宕・摩耶沈没、高雄大破
レイテ湾を目指して航行中の栗田艦隊の旗艦「愛宕」がパラワン水道で米潜水艦「ダーター」に雷撃されて沈没。僚艦「摩耶」も米潜水艦「デイス」に雷撃されて沈没した。
また、高雄も米潜水艦「ダーター」に雷撃されて大破。駆逐艦「長波」「朝霜」の護衛の下で撤退した。米潜水艦「ダーター」は高雄追撃中に座礁して自沈している。
シブヤン海海戦
アメリカ軍の進攻阻止を目的としたレイテ沖海戦の局面の一つ。
シブヤン海に差し掛かった栗田艦隊は米空母「イントレピッド」「ボット」「レキシントン」「エセックス」「フランクリン」「エンタープライズ」艦載機の攻撃を受けて戦艦「武蔵」を失う。
スリガオ海峡海戦
アメリカ軍の進攻阻止を目的としたレイテ沖海戦の局面の一つ。
レイテ湾に突入しようとした西村艦隊は戦艦「山城」「扶桑」、重巡洋艦「最上」、駆逐艦「山雲」「満潮」「朝雲」を失い、駆逐艦「時雨」を残して壊滅した。
エンガノ岬沖海戦
レイテ沖海戦の局面の一つ。栗田艦隊、西村艦隊、志摩艦隊のレイテ突入を支援する為、100機程度の航空戦力しか持たない小沢機動部隊がアメリカ海軍機動部隊を釣り出す囮として出撃。
第三航空戦隊の全ての航空母艦「千歳」「千代田」「瑞鶴」「瑞鳳」、軽巡洋艦「多摩」、駆逐艦「秋月」「初月」を失う。
サマール沖海戦
アメリカ軍の進攻阻止を目的としたレイテ沖海戦の局面の一つ。
レイテ湾を目指していた栗田艦隊はサマール島沖で米護衛空母群タフィ3と遭遇。日本は重巡洋艦「鳥海」「鈴谷」「筑摩」を失い、アメリカは護衛空母「ガンビア・ベイ」、駆逐艦「ジョンストン」「ホーエル」「サミュエル・B・ロバーツ 」を失った。
野分沈没
サマール島沖海戦で航行不能に陥っていた「筑摩」の救援に向かい、乗員救助後に「筑摩」を雷撃処分。
その後に米高速戦艦部隊に捕捉されて巡洋艦「ヴィンセンス」「ビロックス」「マイアミ」、駆逐艦「オーエン」「ミラー」の射撃を受けて大破。最後は雷撃されて沈没した。
早霜擱座
栗田艦隊に所属してレイテ突入を目指していたが10月25日に米空母艦載機の攻撃を受け損傷。ミンドロ島南方を航行中に第38任務部隊の空母艦載機の攻撃を受け、沈没を防ぐ為にセミララ島の浅瀬に乗り上げた。
藤波沈没
サマール島沖海戦で航行不能に陥っていた「鳥海」の救援に向かい、乗員救助後に「鳥海」を雷撃処分。
その後「早霜」の救援に向かう途中、シブヤン海で第38任務部隊の米空母艦載機の攻撃を受けて沈没した。
伊41、軽巡洋艦「リノ」を大破
サンベルナルジノ海峡でアメリカ海軍の軽巡洋艦「リノ」を雷撃。
「リノ」は工作艦「ヴェスタル」の補強、マヌスによる応急修理の後、3月22日にサウスカロライナ州チャールストンで本格的な修理を受けたが、修理に7ヶ月かかり、その間に終戦を迎えた。
信濃(艦これ未実装)
元大和型戦艦3番艦。ミッドウェー海戦の敗北で、建造途中だった大和型3番艦を空母に改造。
最後の艤装工事を行う為に呉に回航している最中に沈没した。書類上は完成しているが実際は未完成艦だった。
妙高大破
シブヤン海海戦で米空母艦載機の雷撃を受けて損傷。修理の為に日本本土へ帰還途中に米潜水艦「バーゴール」に雷撃されて大破したが妙高の砲撃で「バーゴール」も大破、追撃を防いだ。
曳航先のシンガポールで航行不能状態の「高雄」と共に防空艦として終戦までシンガポールに留まることになった。
巡潜甲型改2
特殊攻撃機「晴嵐」2機を搭載できるよう改装した巡潜甲型。バルジも追加。速力は落ちたが航続距離は伸びている。
- 1944年12月16日:伊13
- 1945年03月14日:伊14
- 未完成:伊15(2代目)
- 未完成:伊1(2代目)
ミンドロ島沖海戦(礼号作戦)
大日本帝国海軍によるフィリピン・ミンドロ島のアメリカ軍への攻撃。第二水雷戦隊司令官の木村昌福少将率いる挺身部隊がミンドロ島に突入した。旗艦は駆逐艦「霞」。
米航空機の攻撃で駆逐艦「清霜」が沈没。敵上陸地点沖合にいた輸送船4隻、物資集積所に砲撃を加え、仏領インドシナのカムラン湾へ帰投した。太平洋戦線における大日本帝国海軍の組織的戦闘における最後の勝利と言われている。
潜特型
特殊攻撃機「晴嵐」3機を搭載できる第二次世界大戦では最大の潜水艦。世界初の潜水空母。原子力潜水艦を除く通常動力型潜水艦としては2012年までの68年間世界最大だった。
地球を一周半航行できる長大な航続距離を持つ為、日本から地球上のどこへでも行けて、さらに特殊攻撃機「晴嵐」で空爆して日本に帰ってくることができた。冷戦時代の弾道ミサイル原子力潜水艦の先駆け。
- 1944年12月30日:伊400
- 1945年01月08日:伊401
- 1945年07月24日:伊402
- 建造中止:伊403
- 1945年08月11日大破:伊404(工事進捗率95%)
- 建造中止:伊405
檜沈没
「樅」と共にマニラ沖でアメリカ艦隊の輸送船団に突撃、後に米空母艦載機の攻撃を受けて一時航行不能に陥るがマニラに帰投。
7日にマニラを出港した際に別の敵輸送船団と遭遇。アメリカ海軍の駆逐艦チャールズ・オースバーンの砲撃を受けて沈没した。
橘型駆逐艦
松型駆逐艦の工事を簡易化する為に再設計。工期は最短5ヶ月にまで短縮した。
- 1945年01月20日:橘(艦これ未実装)
- 1945年03月05日:柿(艦これ未実装)
- 1945年05月29日:樺(艦これ未実装)
- 1945年02月08日:蔦(艦これ未実装)
- 1945年03月01日:萩(艦これ未実装)
- 1945年03月26日:菫(艦これ未実装)
- 1945年04月28日:楠(艦これ未実装)
- 1945年05月28日:初櫻(艦これ未実装)
- 1945年01月31日:楡(艦これ未実装)
- 1945年03月15日:梨(艦これ未実装)
- 1945年03月13日:椎(艦これ未実装)
- 1945年03月31日:榎(艦これ未実装)
- 1945年05月15日:雄竹(艦これ未実装)
- 1945年06月18日:初梅(艦これ未実装)
潜補型
飛行艇の燃料補給を行う為に設計したが最終的にはガソリン輸送艦に変更された。補給用燃料を大量に搭載する為、最大の排水量を持つ潜水艦となった。
- 1945年01月28日:伊351
- 1945年06月22日沈没:伊352(工事進捗率90%)
- 建造中止:伊353
潜高型(潜高大型)
マル戦計画によって建造された潜水艦。水中高速航走性能を追求しつつ、建造期間短縮と大量建造に適したブロック建造を取り入れた最初の潜水艦。毎月1隻の完成を目標としていた。
- 1945年02月02日:伊201
- 1945年02月14日:伊202
- 1945年06月25日:伊203
- 1945年06月22日沈没:伊204(工事進捗率90%)
- 1945年07月28日沈没:伊205(工事進捗率80%)
- 建造中止:伊206
- 建造中止:伊207
- 建造中止:伊208
坊ノ岬沖海戦
沖縄への水上特攻に向かう伊藤整一中将率いる第一遊撃部隊をマーク・ミッチャー中将率いる第58機動部隊の空母艦載機が迎撃。
第一遊撃部隊は戦艦「大和」、軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦「磯風」「浜風」「朝霜」「霞」を失う。帰還できたのは駆逐艦「冬月」「涼月」「雪風」「初霜」の4隻。
天津風爆破処分
南シナ海で米潜水艦「レッドフィン」の雷撃を受けて船体が二つに裂けて1週間漂流した。
シンガポールで切断箇所に仮艦首を装着。本格的な修理の為に日本本土へ帰還中、度重なる空襲を受けてアモイ島南岸で座礁。爆雷によって爆破処分された。
ペナン沖海戦
マラッカ海峡ペナン島沖で行われた日本海軍とイギリス海軍の海戦。第二次世界大戦最後の水上戦闘。
サマール沖海戦の際に2番砲塔を損傷、スクリューシャフトを損傷して速力が低下、さらに一部武装を撤去して物資を載せていた重巡洋艦「羽黒」及び駆逐艦「神風」をイギリスの第26駆逐隊が攻撃。「羽黒」は沈没した。
接収艦(一等潜水艦)
元々、大日本帝国占領下のシンガポール基地等を拠点としていたドイツ海軍及びイタリア海軍の潜水艦。
イタリア海軍の潜水艦「ルイージ・トレッリ」「コマンダンテ・カッペリーニ」はイタリア降伏後、ドイツ海軍に編入。ドイツ降伏後の1945年7月15日にドイツの潜水艦3隻と共に大日本帝国海軍に編入された。
- 1942年05月09日:伊501←U-181
- 1943年10月07日:伊502←U-862
- 1939年09月23日:伊503←UIT24←コマンダンテ・カッペリーニ
- 1940年05月15日:伊504←UIT25←ルイージ・トレッリ
- 1942年12月12日:伊505←U-219
- 1942年09月05日:伊506←U-195
呉軍港空襲
連合国軍空母機動部隊航空隊、沖縄のアメリカ陸軍航空軍による呉軍港空襲。
日本は駆逐艦「梨」、潜水艦「伊404」を失い、戦艦「榛名」「伊勢」「日向」、重巡洋艦「青葉」「利根」が大破着底。航空母艦「天城」、軽巡洋艦「大淀」が転覆した。
- 7月28日終戦
終戦時まで残っていた艦は下記。
戦艦は榛名(大破着底)、伊勢(大破着底)、日向(大破着底)、長門(中破)。
航空母艦は鳳翔、隼鷹(機関損傷)、龍鳳(係留して対空砲台)、海鷹(擱座)、天城(転覆)、葛城。
重巡洋艦は青葉(大破着底)、妙高(航行不能)、高雄(航行不能)、利根(大破着底)。
軽巡洋艦は北上(航行不能)、大淀(転覆)、酒匂。
駆逐艦は澤風、汐風、夕風、波風、神風、春風(艦尾損失)、潮(航行不能)、響、雪風、涼月(係留して対空砲台)、冬月(戦後工作艦となる)、春月、宵月、夏月、花月、竹、桐、杉、槇、樫、榧、楢(航行不能)、柳(擱座)、椿(中破)、楓、欅、柿、樺、蔦、萩、菫、楠、初櫻、楡(中破)、椎、榎(擱座)、雄竹、初梅。
工作艦/給糧艦は伊良湖(大破着底)、早埼、白埼、荒埼。
朝鮮戦争
- 1950年06月25日:国境会戦
- 1950年07月07日:国連軍結成
- 1950年10月10日:日本特別掃海隊が参加
- 1950年10月19日:中国人民志願軍が参戦
- 1953年07月27日:休戦協定