大日本帝国海軍・重巡洋艦の歴史

海軍軍縮会議

ワシントン海軍軍縮会議

米英・日・仏伊の保有艦の総排水量比率を5:3:1.75に制定。建造中の艦船を廃艦することが決まった。

しかし、1万トン以下で20.3センチ以下の砲を持つ巡洋艦に制限を課さなかった為、各国は条約型巡洋艦の新造を進める結果となった。

- 1922年2月6日
歴史

関東大震災

神奈川県相模湾北西沖80kmを震源としたマグニチュード7.9の地震が発生。被害の中心は神奈川県。190万人が被災、10万5千人が死亡・行方不明となった。

重巡洋艦

古鷹

古鷹型重巡洋艦1番艦。アメリカ海軍の15.2cm砲を持つオマハ級軽巡洋艦を超える巡洋艦として建造した。基準排水量7,950トン。

50口径20cm単装砲6門を搭載している。巡洋艦(軽巡洋艦)として設計していたが、ロンドン海軍軍縮会議の結果、重巡洋艦に分類される。

重巡洋艦

加古

古鷹型重巡洋艦2番艦。川内型軽巡洋艦4番艦の予定だった「加古」を引き継ぎ、巡洋艦(軽巡洋艦)として設計していた為、重巡洋艦にも関わらず山ではなく川の名前を持つ。

なお、本来は加古型重巡洋艦1番艦になる予定だったが、クレーン事故で船体を損傷したことで就役が遅れてしまい2番艦となった。

海軍軍縮会議

ジュネーブ海軍軍縮会議

巡洋艦以下の補助艦の制限を決める国際軍縮会議だが、英国の「個艦規制主義」と米国の「比率主義」が平行線を辿り決裂した。

- 8月4日
重巡洋艦

青葉

青葉型重巡洋艦1番艦。ワシントン海軍軍縮条約の制限の範囲内で「古鷹」を改良した改古鷹型。基準排水量9,000トン。

古鷹型との最大の違いは兵装で、主砲に50口径20cm連装砲3基6門を搭載している。ただ、青葉型を古鷹型に含める場合もある。

重巡洋艦

衣笠

青葉型重巡洋艦2番艦。水上偵察機用のカタパルトを大日本帝国海軍で初めて実用装備した。

重巡洋艦

那智

妙高型重巡洋艦2番艦。1番艦の妙高よりも早く就役した。

重巡洋艦

羽黒

妙高型重巡洋艦4番艦。1番艦の妙高、3番艦の足柄よりも早く就役した。

重巡洋艦

妙高

妙高型重巡洋艦1番艦。八八艦隊計画では20cm砲10門を搭載していた7200トン型巡洋艦を建造する計画だった。

しかし、ワシントン海軍軍縮条約の基準排水量10,000トン以下の制限の中で最大の攻撃力を持つ艦に計画を変更した。ただ、魚雷発射管や兵員室の追加で基準排水量は10,902トンと条約の制限を超過してしまっている。

重巡洋艦

足柄

妙高型重巡洋艦3番艦。ジョージ6世戴冠記念観艦式に参加した際に「飢えた狼」と評された。

気品、優雅さ、ゆとりが無い姿を揶揄されたと言われている。イギリスは本国と植民地の行き来の為に居住性を重視し、日本は居住性を犠牲にして戦闘能力を追求したことが艦影に影響した。

歴史

世界恐慌

ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことをきっかけに世界を襲った大恐慌。

特に失業率40%を突破したドイツでは深刻な社会不安に陥り、ヒトラー率いるナチ党台頭の原因となった。

国政選挙でのナチ党の当選は1928年時点では12議席、しかし、1932年の選挙では全584議席中230議席を獲得して第一党に躍り出ている。

海軍軍縮会議

ロンドン海軍軍縮会議

英米・日の補助艦の総排水量比率を米英10:日6.975に制定。

条約型巡洋艦の新造ラッシュで軍備拡張が進んだ為、搭載する主砲によって重巡洋艦、軽巡洋艦に分類し、それぞれに保有量を定めた。

- 4月22日
歴史

満州事変

満洲駐留の大日本帝国陸軍「関東軍」が満州を占領。関東軍主導の下、日本租界へ身を寄せていた清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を担ぎ上げて満洲国を建国する。

一方、日本政府は9月19日に緊急閣議を開き、幣原喜重郎外務大臣が外交活動による解決を図ろうとした。

- 1933年5月31日
重巡洋艦

愛宕

高雄型重巡洋艦2番艦。1番艦の高雄よりも早く就役した為に愛宕型とも呼ぶ。

重巡洋艦

高雄

高雄型重巡洋艦1番艦。高い艦隊指揮能力を付加する為に塔型艦橋を大型化した重巡洋艦。基準排水量11,350トン。

しかし、第四艦隊事件を契機に高雄、愛宕の艦上構造物に対して縮小工事が行われている。

重巡洋艦

摩耶

高雄型重巡洋艦3番艦。1943年の修理で3番主砲塔を撤去して40口径12.7センチ連装高角砲を2基増設。対空兵装を大幅に強化している。

スタジオジブリの映画で有名な小説『火垂るの墓』の主人公・清太の父が海軍大尉として摩耶に乗り込んでいる。

重巡洋艦

鳥海

高雄型重巡洋艦4番艦。最上型と利根型が書類上は軽巡洋艦として建造された為、大日本帝国海軍最後の一等巡洋艦(重巡洋艦)となる。

客船建造の経験が豊富な三菱造船長崎造船所が担当したことから同型艦と比べて艦内艤装が良く、度々、艦隊旗艦を務めた。

重巡洋艦

最上

最上型重巡洋艦1番艦。当初は軽巡洋艦として建造する予定だった為に川の名前を持つが軍縮条約失効を見越して重巡洋艦への改装を前提に建造していた。

基準排水量11,200トン。ミッドウェー海戦で僚艦「三隈」と衝突して損傷。修理の際に後部砲塔を撤去して航空巡洋艦に改装された。

重巡洋艦

三隈

最上型重巡洋艦2番艦。太平洋戦争で最初に沈没した重巡洋艦となった。

沈没

第四艦隊事件

大日本帝国海軍の第四艦隊は三陸沖に向かう途中、太平洋で台風に遭遇。駆逐艦「初雪」「夕霧」が波浪で船体を切断。駆逐艦「睦月」が艦橋圧壊。航空母艦「龍驤」は艦橋前面破損。航空母艦「鳳翔」は甲板前端を圧壊するなど艦艇41隻の内19隻が損傷した。

海軍軍縮会議

第二次ロンドン海軍軍縮会議

日本・イタリアが脱退。軍縮時代が終わる。

- 1936年3月25日
歴史

日中戦争(支那事変)

  • 1937年07月07日:盧溝橋事件
  • 1937年07月25日:廊坊事件
  • 1937年08月13日:第二次上海事変
重巡洋艦

鈴谷

最上型重巡洋艦3番艦。建造中に「第四艦隊事件」が発生。1番艦「最上」は水上機が大破、垂直鋼板が歪んで第二砲塔が旋回不能、外板の溶接部に亀裂が生じて浸水被害を受けた。

この為、最上型の船体を改設計。線図を改めて工事したことで「最上」「三隈」と船体形状が異なっている。このことから最上型ではなく鈴谷型として分類されることもある。基準排水量12,000トン。

重巡洋艦

熊野

最上型重巡洋艦4番艦。

重巡洋艦

利根

利根型重巡洋艦1番艦。ロンドン海軍軍縮条約に基き、最上型軽巡洋艦を改良した軽巡洋艦として設計・起工した為に川の名前を持つ。

建造途中で軍縮条約が失効。50口径三年式20.3 cm連装砲を搭載する重巡洋艦に設計変更した。

20.3 cm連装砲塔は艦の前部に集中配置。後部を飛行機発進甲板として水上偵察機を6機搭載。航空索敵能力を重視したことから航空巡洋艦にも分類される。

重巡洋艦

筑摩

利根型重巡洋艦2番艦。基準排水量11,213トン。

歴史

第二次世界大戦

  • 1939年09月01日:ドイツ軍がポーランドへ侵攻
  • 1939年10月06日:ポーランド降伏
  • 1940年04月09日:デンマーク降伏
  • 1940年06月08日:ノルウェー占領
  • 1940年05月15日:オランダ降伏
  • 1940年06月22日:フランス降伏
  • 1940年07月10日:バトル・オブ・ブリテン
  • 1940年09月07日:ロンドン大空襲
歴史

日独伊三国同盟

中国国民党の蒋介石を支援するアメリカを牽制する為、ヨーロッパでの戦争に勝利を収めつつあるドイツと手を結ぶ。

松岡洋右外務大臣は三国同盟にソ連を加えた「ユーラシア大陸同盟(日独伊ソ四国同盟構想)」を目指して奔走。結果「日ソ中立条約」が結ばれることになる。

歴史

太平洋戦争

  • 1941年12月08日:マレー作戦・香港の戦い(対イギリス戦)
  • 1941年12月08日:真珠湾攻撃(対アメリカ戦)
  • 1941年12月08日:オランダ、大日本帝国に宣戦を布告
  • 1941年12月10日:中華民国、大日本帝国に宣戦を布告
海戦

スラバヤ沖海戦

インドネシアのスラバヤ沖で行われた大日本帝国海軍とアメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリアの各国で構成した連合軍ABDA艦隊による海戦。日本は資源地帯のオランダ領インドネシア占領を目指していた。

連合軍は重巡洋艦「エクセター」、軽巡洋艦「デ・ロイテル」「ジャワ」、駆逐艦「コルテノール」「エレクトラ」「ジュピター」「エンカウンター」「ポープ」を失う。

- 3月1日
海戦

バタビア沖海戦

ジャワ島のバタビア(ジャカルタ)沖で行われた大日本帝国海軍とスラバヤ沖海戦で敗れた残存艦隊による海戦。日本の輸送船団を攻撃していた残存艦隊を第3護衛隊、西方支援隊が迎撃した。

連合軍は重巡洋艦「ヒューストン」、軽巡洋艦「パース」、駆逐艦「エヴェルトセン」を失う。

- 3月1日
海戦

チラチャップ沖海戦

重巡洋艦「高雄」「愛宕」「摩耶」、駆逐艦「野分」「嵐」による通商破壊作戦。

商船の拿捕・撃沈に加えてイギリス海軍の駆逐艦「ストロングホールド」、アメリカ海軍の駆逐艦「ピルスバリー」、砲艦「アッシュビル」、王立オーストラリア海軍の護衛艦「ヤラ」を撃沈している。

海戦

ミッドウェー海戦

ミッドウェー島攻略を目指す大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。

日本は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の航空母艦4隻、重巡洋艦「三隈」を失い、アメリカは航空母艦「ヨークタウン」、駆逐艦「ハンマン」を失う。

真珠湾攻撃で戦艦4隻、オーストラリア空襲、セイロン沖海戦で航空母艦1隻を沈め、敵航空機に至っては471機を撃墜と連戦連勝していた世界最強の空母機動部隊「南雲機動部隊」を一挙に失い、太平洋戦争の転換点になったと言われている。

- 6月7日
海戦

ガダルカナル島の戦い

7月6日に大日本帝国海軍の設営隊が上陸。翌8月5日にガダルカナル陸上飛行基地の滑走路の第1期工事が完了したが、8月7日にアメリカ海軍の第1海兵師団上陸して占領。8月12日にヘンダーソン飛行場とした。

以降、大日本帝国陸軍による2度の総攻撃、海軍による第一次ソロモン海戦、第二次ソロモン海戦、サボ島沖海戦、ヘンダーソン基地艦砲射撃、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦、ルンガ沖夜戦、レンネル島沖海戦、ケ号作戦の舞台となった。

- 1943年2月7日
海戦

第一次ソロモン海戦

ソロモン諸島サボ島沖で行われた大日本帝国海軍と連合国軍による海戦。鳥海を旗艦とする第八艦隊が自軍を上回る部隊が待つ敵泊地へ突入、連合国軍は重巡洋艦「キャンベラ」「ヴィンセンス」「クインシー」「アストリア」、駆逐艦「ジャービス」を失った。

しかし、夜戦を終えて味方の制空圏にまで離脱し、速力を落とした所を米潜水艦「S44」に雷撃され、重巡洋艦「加古」を失っている。

- 9日
海戦

サボ島沖海戦

ソロモン諸島サボ島沖で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。ヘンダーソン飛行場の砲撃に向かう重巡洋艦「青葉」を旗艦とする第六戦隊がアメリカ艦隊を味方と誤認。

アメリカ側もT字戦法を維持しようと回頭しようとした際に隊列が乱れ、駆逐艦「ダンカン」「ファレンホルト」が味方の砲撃を受ける形となった。日本は重巡洋艦「古鷹」、駆逐艦「吹雪」を失い、アメリカは駆逐艦「ダンカン」を失った。

また、第六戦隊救援に向かった駆逐艦「叢雲」が敵航空機の攻撃を受けて航行不能(後に雷撃処分)、その救援に向かった「夏雲」も航空機の攻撃を受けて沈没した。

海戦

南太平洋海戦

ソロモン諸島サンタ・クルーズ諸島沖で新生第一航空戦隊「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」擁する南雲機動部隊とミッドウェー海戦の仇敵「エンタープライズ」「ホーネット」擁する米空母機動部隊が戦闘。

第二航空戦隊「隼鷹」を加えた航空母艦4隻の艦載機によって「ホーネット」を沈め、 「エンタープライズ」を中破させることに成功。アメリカ海軍は一時的に稼働する空母が無くなった。これを「史上最悪の海軍記念日」と言う。

海戦

第三次ソロモン海戦(第1夜戦)

ソロモン海で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。戦艦「比叡」を旗艦とするガダルカナル島砲撃艦隊はヘンダーソン飛行場砲撃に向け出撃し、ガダルカナルへの輸送船団を護衛するダニエル・キャラハン少将率いる第67任務部隊4群と会敵。

日本は戦艦「比叡」、重巡洋艦「衣笠」、駆逐艦「暁」「夕立」を失い、アメリカは軽巡洋艦「アトランタ」「ジュノー」、駆逐艦「アーロン・ワード」「カッシング」「ラフィー」「バートン」「モンセン」を失う。

海戦

第三次ソロモン海戦(第2夜戦)

ソロモン海で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。戦艦「霧島」によるヘンダーソン飛行場砲撃作戦を実施。日本軍輸送船団撃退を目指すウィリス・A・リー少将率いる第64任務部隊と会敵。

日本は戦艦「霧島」、駆逐艦「綾波」を失い、アメリカは駆逐艦「ウォーク」「プレストン」「ベンハム」を失う。

- 11月15日
海戦

アッツ島沖海戦

アッツ島沖で行われた大日本帝国海軍艦隊とアメリカ艦隊の海戦。アメリカ海軍が日本のアリューシャン列島への輸送を阻止する為に艦隊を派遣、輸送船護衛に当たっていた第五艦隊の部隊と会敵する。

日本は重巡洋艦「那智」が小破、アメリカは重巡洋艦「ソルトレイクシティ」ほか駆逐艦2隻が小破した。

海戦

ラバウル空襲

連合軍による日本軍の拠点ラバウルへの空襲。10月12日に爆撃機349機による大空襲が行われ、その後も空襲が続いた。

11月2日にはブーゲンビル島沖海戦から帰投したばかりの連合襲撃部隊が被害に遭い、11月5日には新たにラバウルに投入された重巡洋艦7隻を含む遊撃部隊が被害に遭い、11月11日には第二水雷戦隊の駆逐艦「涼波」が沈没した。

- 11月11日
海戦

ブーゲンビル島沖海戦

ブーゲンビル島エンプレス・オーガスタ湾で行われた日本海軍連合襲撃部隊とアメリカ海軍第39任務部隊による海戦。大森仙太郎少将率いる連合襲撃部隊をアーロン・S・メリル少将率いる第39任務部隊が迎撃。

戦闘隊形の複雑さから軽巡洋艦「川内」が駆逐艦「時雨」に急接近して隊列が乱れ、駆逐艦「五月雨」と「白露」が衝突。駆逐艦「初風」も重巡洋艦「妙高」と衝突して艦首を切断。結局、日本は軽巡洋艦「川内」と駆逐艦「初風」を失った。

- 2日
沈没

愛宕・摩耶沈没、高雄大破

レイテ湾を目指して航行中の栗田艦隊の旗艦「愛宕」がパラワン水道で米潜水艦「ダーター」に雷撃されて沈没。僚艦「摩耶」も米潜水艦「デイス」に雷撃されて沈没した。

また、高雄も米潜水艦「ダーター」に雷撃されて大破。駆逐艦「長波」「朝霜」の護衛の下で撤退した。米潜水艦「ダーター」は高雄追撃中に座礁して自沈している。

海戦

スリガオ海峡海戦

アメリカ軍の進攻阻止を目的としたレイテ沖海戦の局面の一つ。

レイテ湾に突入しようとした西村艦隊は戦艦「山城」「扶桑」、重巡洋艦「最上」、駆逐艦「山雲」「満潮」「朝雲」を失い、駆逐艦「時雨」を残して壊滅した。

海戦

サマール沖海戦

アメリカ軍の進攻阻止を目的としたレイテ沖海戦の局面の一つ。

レイテ湾を目指していた栗田艦隊はサマール島沖で米護衛空母群タフィ3と遭遇。日本は重巡洋艦「鳥海」「鈴谷」「筑摩」を失い、アメリカは護衛空母「ガンビア・ベイ」、駆逐艦「ジョンストン」「ホーエル」「サミュエル・B・ロバーツ 」を失った。

沈没

那智沈没

志摩艦隊の旗艦としてレイテ沖海戦に参戦。西村艦隊の後を追ってスリガオ海峡に突入したが「最上」と衝突して損傷。退避した先のマニラで米空母「レキシントン」艦載機に攻撃され沈没した。

沈没

熊野沈没

サマール島沖海戦で雷撃を受けて艦首から13mを喪失。修理の為に日本本土へ帰還途中に米空母「タイコンデロガ」艦載機に攻撃され沈没した。

沈没

妙高大破

シブヤン海海戦で米空母艦載機の雷撃を受けて損傷。修理の為に日本本土へ帰還途中に米潜水艦「バーゴール」に雷撃されて大破したが妙高の砲撃で「バーゴール」も大破、追撃を防いだ。

曳航先のシンガポールで航行不能状態の「高雄」と共に防空艦として終戦までシンガポールに留まることになった。

海戦

ミンドロ島沖海戦(礼号作戦)

大日本帝国海軍によるフィリピン・ミンドロ島のアメリカ軍への攻撃。第二水雷戦隊司令官の木村昌福少将率いる挺身部隊がミンドロ島に突入した。旗艦は駆逐艦「霞」。

米航空機の攻撃で駆逐艦「清霜」が沈没。敵上陸地点沖合にいた輸送船4隻、物資集積所に砲撃を加え、仏領インドシナのカムラン湾へ帰投した。太平洋戦線における大日本帝国海軍の組織的戦闘における最後の勝利と言われている。

海戦

ペナン沖海戦

マラッカ海峡ペナン島沖で行われた日本海軍とイギリス海軍の海戦。第二次世界大戦最後の水上戦闘。

サマール沖海戦の際に2番砲塔を損傷、スクリューシャフトを損傷して速力が低下、さらに一部武装を撤去して物資を載せていた重巡洋艦「羽黒」及び駆逐艦「神風」をイギリスの第26駆逐隊が攻撃。「羽黒」は沈没した。

沈没

足柄沈没

輸送任務でシンガポールに向けて航行中に英潜水艦「トレンチャント」に雷撃され沈没した。

海戦

呉軍港空襲

連合国軍空母機動部隊航空隊、沖縄のアメリカ陸軍航空軍による呉軍港空襲。

日本は駆逐艦「梨」、潜水艦「伊404」を失い、戦艦「榛名」「伊勢」「日向」、重巡洋艦「青葉」「利根」が大破着底。航空母艦「天城」、軽巡洋艦「大淀」が転覆した。

- 7月28日
終戦

終戦

終戦時まで残っていた艦は下記。

戦艦は榛名(大破着底)、伊勢(大破着底)、日向(大破着底)、長門(中破)。

航空母艦は鳳翔、隼鷹(機関損傷)、龍鳳(係留して対空砲台)、海鷹(擱座)、天城(転覆)、葛城。

重巡洋艦は青葉(大破着底)、妙高(航行不能)、高雄(航行不能)、利根(大破着底)。

軽巡洋艦は北上(航行不能)、大淀(転覆)、酒匂。

駆逐艦は澤風、汐風、夕風、波風、神風、春風(艦尾損失)、潮(航行不能)、響、雪風、涼月(係留して対空砲台)、冬月(戦後工作艦となる)、春月、宵月、夏月、花月、竹、桐、杉、槇、樫、榧、楢(航行不能)、柳(擱座)、椿(中破)、楓、欅、柿、樺、蔦、萩、菫、楠、初櫻、楡(中破)、椎、榎(擱座)、雄竹、初梅。

工作艦/給糧艦は伊良湖(大破着底)、早埼、白埼、荒埼。

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