大日本帝国海軍・航空母艦の歴史
ワシントン海軍軍縮会議
米英・日・仏伊の保有艦の総排水量比率を5:3:1.75に制定。建造中の艦船を廃艦することが決まった。
しかし、1万トン以下で20.3センチ以下の砲を持つ巡洋艦に制限を課さなかった為、各国は条約型巡洋艦の新造を進める結果となった。
- 1922年2月6日鳳翔
世界で初めて誕生した生まれながらの航空母艦。鳳翔以前の航空母艦は別の艦種から改造した改造空母。基準排水量7,470トン。
大日本帝国海軍の艦艇の中で開戦前から終戦まで無傷だったのは鳳翔のみ。また、他に残っていた艦も先に解体された為、航空母艦の最初の艦にして最後まで存在した艦となった。
赤城
ワシントン海軍軍縮条約によって廃棄することになった天城型巡洋戦艦2番艦を航空母艦に改造。
「フューリアス」の影響を受けて多層式飛行甲板(三段式)を採用。巡洋艦を撃破する為に20cm砲を10門装備していた。基準排水量26,900トン(改装後は36,500トン)。
加賀
ワシントン海軍軍縮条約によって廃棄が決定していた加賀型戦艦(改長門型)。航空母艦に改造予定だった天城型巡洋戦艦1番艦が関東大震災によって破壊され、代わりに航空母艦となった。
基準排水量26,900トン(改装後は38,200トン)。「赤城」と同じ方針で改造することになったが煙突の失敗、速力不足、大きさの割に搭載機数が少ない等の問題が多発した。
世界恐慌
ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことをきっかけに世界を襲った大恐慌。
特に失業率40%を突破したドイツでは深刻な社会不安に陥り、ヒトラー率いるナチ党台頭の原因となった。
国政選挙でのナチ党の当選は1928年時点では12議席、しかし、1932年の選挙では全584議席中230議席を獲得して第一党に躍り出ている。
ロンドン海軍軍縮会議
英米・日の補助艦の総排水量比率を米英10:日6.975に制定。
条約型巡洋艦の新造ラッシュで軍備拡張が進んだ為、搭載する主砲によって重巡洋艦、軽巡洋艦に分類し、それぞれに保有量を定めた。
- 4月22日満州事変
満洲駐留の大日本帝国陸軍「関東軍」が満州を占領。関東軍主導の下、日本租界へ身を寄せていた清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を担ぎ上げて満洲国を建国する。
一方、日本政府は9月19日に緊急閣議を開き、幣原喜重郎外務大臣が外交活動による解決を図ろうとした。
- 1933年5月31日龍驤
軍令部や軍縮条約に振り回された航空母艦。
ワシントン海軍軍縮条約下でも建造に制限の無い小型空母として起工するもロンドン海軍軍縮条約で制限を課せられ、設計を変更。小さな船体に二段格納庫を持つアンバランスな航空母艦となった。基準排水量12,732トン(改装後は10,600トン)
第四艦隊事件
大日本帝国海軍の第四艦隊は三陸沖に向かう途中、太平洋で台風に遭遇。駆逐艦「初雪」「夕霧」が波浪で船体を切断。駆逐艦「睦月」が艦橋圧壊。航空母艦「龍驤」は艦橋前面破損。航空母艦「鳳翔」は甲板前端を圧壊するなど艦艇41隻の内19隻が損傷した。
蒼龍
「友鶴事件」「第四艦隊事件」を受けて主砲の採用を中止したことで、34.5ノットの優れた速度、複数の対空火器を搭載。実用性の高い艦隊型空母が誕生した。
ロンドン海軍軍縮条約の下で排水量10,500トンの中型空母として建造していたが、建造中に条約破棄が決まり最終的に基準排水量15,900トンの中型空母となった。
第二次世界大戦
- 1939年09月01日:ドイツ軍がポーランドへ侵攻
- 1939年10月06日:ポーランド降伏
- 1940年04月09日:デンマーク降伏
- 1940年06月08日:ノルウェー占領
- 1940年05月15日:オランダ降伏
- 1940年06月22日:フランス降伏
- 1940年07月10日:バトル・オブ・ブリテン
- 1940年09月07日:ロンドン大空襲
日独伊三国同盟
中国国民党の蒋介石を支援するアメリカを牽制する為、ヨーロッパでの戦争に勝利を収めつつあるドイツと手を結ぶ。
松岡洋右外務大臣は三国同盟にソ連を加えた「ユーラシア大陸同盟(日独伊ソ四国同盟構想)」を目指して奔走。結果「日ソ中立条約」が結ばれることになる。
瑞鳳
祥鳳型航空母艦2番艦。航空母艦としては姉の祥鳳よりも先に完成した。アメリカでは祥鳳型ではなく「Zuihō-class aircraft carriers(瑞鳳型航空母艦)」と呼ぶ。
元高速給油艦「高崎」。ロンドン海軍軍縮条約で航空母艦の保有量を制限された為、条約明けに航空母艦に改造できるように作られていた。
翔鶴
「飛龍」を拡大改良した大型空母。翔鶴型航空母艦1番艦。基準排水量25,675トン。
戦艦「大和」をしのぐ日本海軍最大の十六万馬力の出力を持ち、速さと防御力の両立を実現した。大日本帝国海軍の軍艦では初めてバルバス・バウを採用し、速力は34.2ノット。
ワード号事件
真珠湾攻撃直前に大日本帝国海軍所属の特殊潜航艇がアメリカ海軍の駆逐艦「ワード」に撃沈される事件が発生した。
駆逐艦「ワード」は太平洋艦隊司令部に未識別の潜水艦を撃沈したと打電したが、直後に発生する真珠湾攻撃への警戒にはつながらなかった。
太平洋戦争
- 1941年12月08日:マレー作戦・香港の戦い(対イギリス戦)
- 1941年12月08日:真珠湾攻撃(対アメリカ戦)
- 1941年12月08日:オランダ、大日本帝国に宣戦を布告
- 1941年12月10日:中華民国、大日本帝国に宣戦を布告
真珠湾攻撃
ハワイオアフ島真珠湾にあるアメリカ海軍太平洋艦隊の基地を日本海軍が航空母艦の艦載機、特殊潜航艇甲標的を用いて攻撃。
アメリカ海軍は戦艦4隻沈没、戦艦1隻中破、戦艦3隻小破、軽巡洋艦2隻大破、軽巡洋艦1隻小破、駆逐艦2隻大破、駆逐艦1隻中破と大きな被害を受けた。
ウェーク島の戦い
大日本帝国海軍によるアメリカ合衆国領ウェーク島攻略戦。21日から始まる第二次攻略戦には航空母艦「飛龍」「蒼龍」が参加。ウェーク島を空襲した。
日本は駆逐艦「疾風」「如月」を失ったが、12月23日にウェーク島を占領した。
- 23日マレー沖海戦
マレー半島東方沖で日本海軍の航空部隊とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘。イギリスは戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」、巡洋戦艦「レパルス」を失う。
イギリスは王太子の称号を冠した最新鋭戦艦を失うと同時に1840年のアヘン戦争以来誇っていたアジアでの絶大な支配力を失った。
祥鳳
祥鳳型航空母艦2番艦。基準排水量11,200トンの小型空母。太平洋戦争で最初に沈没した航空母艦となった。
元潜水母艦「剣埼」。潜水母艦「剣埼」として1939年1月15日に竣工。1940年11月15日まで活動した後に航空母艦への改装に着手した為、2番艦の「瑞鳳」よりも1年以上遅れて航空母艦となった。
ジャワ沖海戦
大日本帝国軍の上陸船団攻撃に出撃した連合軍艦隊を日本海軍第11航空艦隊の一式陸攻36機、九六式陸攻24機が攻撃。
連合軍は軽巡洋艦「マーブルヘッド」「デ・ロイテル」が小破した為、撤退した。
ニューギニア沖海戦
大日本帝国海軍が1月23日に上陸・占領したラバウルをアメリカ海軍の空母「レキシントン」を基幹とした機動部隊が奇襲。
哨戒中の九七式飛行艇が米機動部隊を発見し、ラバウルの第24航空戦隊の一式陸上攻撃機17機が出撃。零戦の護衛が無かった為、F4Fワイルドキャットの迎撃と対空砲火で13機を失った。しかし、アメリカ海軍は奇襲が失敗に終わり撤退した。
スラバヤ沖海戦
インドネシアのスラバヤ沖で行われた大日本帝国海軍とアメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリアの各国で構成した連合軍ABDA艦隊による海戦。日本は資源地帯のオランダ領インドネシア占領を目指していた。
連合軍は重巡洋艦「エクセター」、軽巡洋艦「デ・ロイテル」「ジャワ」、駆逐艦「コルテノール」「エレクトラ」「ジュピター」「エンカウンター」「ポープ」を失う。
- 3月1日セイロン沖海戦
インド洋のセイロン島沖で行われた第一航空艦隊、第一南遣艦隊とイギリス海軍の東洋艦隊による海戦。
東洋艦隊は旗艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を失っていたが本国艦隊からの増援を受けて戦艦5隻、空母3隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦15隻の大艦隊となっていた。
イギリスは軽空母「ハーミーズ」、重巡「コーンウォール」「ドーセットシャー」、駆逐艦「ヴァンパイア」「テネドス」を失う。
- 4月9日ドーリットル空襲
大日本帝国海軍のエルウッド製油所砲撃作戦によって、本土への先制攻撃を受けたアメリカは東京への空襲計画を立案。
航続距離の長いアメリカ陸軍の双発中型爆撃機B-25を空母「ホーネット」から発進させ、東京を爆撃し、同盟国の中華民国に着陸させる「ドーリットル空襲」を実行した。ドーリットルは指揮官の名前。
隼鷹
飛鷹型航空母艦2番艦。元々は日本政府が戦時に航空母艦に改造する条件で建造費を補助した日本郵船の橿原丸級貨客船「橿原丸」。
航空母艦としては1番艦の「飛鷹」よりも先に完成した。なお、大日本帝国海軍の公式類別上は隼鷹型航空母艦1番艦となっている。基準排水量は24,140トン。
珊瑚海海戦
ポートモレスビー攻略を目指す大日本帝国海軍とアメリカ海軍・王立オーストラリア海軍による海戦。
歴史上初の航空母艦同士の海戦。日本は軽空母「祥鳳」を失い、連合軍は航空母艦「レキシントン」、油槽船「ネオショー」、駆逐艦「シムス」を失う。
また、この戦いで「翔鶴」が大破。呉に寄港して修理することになった。
ダッチハーバー空襲(AL作戦)
ミッドウェー作戦の陽動の為、アリューシャン列島ウナラスカ島ダッチハーバーにあるのアメリカ海軍基地を航空母艦「龍驤」「隼鷹」の艦載機が攻撃した。
ダッチハーバー空襲は成功したが、肝心のミッドウェー作戦の陽動には失敗した。また、2日目の空襲で「龍驤」零戦隊の古賀忠義一飛曹機が被弾。アクタン島に不時着している。
- 4日ミッドウェー海戦
ミッドウェー島攻略を目指す大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。
日本は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の航空母艦4隻、重巡洋艦「三隈」を失い、アメリカは航空母艦「ヨークタウン」、駆逐艦「ハンマン」を失う。
真珠湾攻撃で戦艦4隻、オーストラリア空襲、セイロン沖海戦で航空母艦1隻を沈め、敵航空機に至っては471機を撃墜と連戦連勝していた世界最強の空母機動部隊「南雲機動部隊」を一挙に失い、太平洋戦争の転換点になったと言われている。
- 6月7日アクタン・ゼロ
アメリカ海軍の哨戒用飛行艇PBYがアクタン島に不時着していた三菱零式艦上戦闘機二一型を発見。
零戦の飛行テストを繰り返した結果、時速370kmを超えるとローリング機動が遅くなる、急降下時にエンジンが停止する等といった欠点を見付け、対零戦戦闘において有利な情報を得た。
飛鷹
飛鷹型航空母艦1番艦。元々は日本政府が戦時に航空母艦に改造する条件で建造費を補助した日本郵船の橿原丸級貨客船「出雲丸」。
商船改造空母の為、速力は25.5ノットと低速だが航空機搭載能力は「蒼龍」に匹敵する。基準排水量は24,240トン。
ガダルカナル島の戦い
7月6日に大日本帝国海軍の設営隊が上陸。翌8月5日にガダルカナル陸上飛行基地の滑走路の第1期工事が完了したが、8月7日にアメリカ海軍の第1海兵師団上陸して占領。8月12日にヘンダーソン飛行場とした。
以降、大日本帝国陸軍による2度の総攻撃、海軍による第一次ソロモン海戦、第二次ソロモン海戦、サボ島沖海戦、ヘンダーソン基地艦砲射撃、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦、ルンガ沖夜戦、レンネル島沖海戦、ケ号作戦の舞台となった。
- 1943年2月7日第二次ソロモン海戦
ソロモン諸島の北で戦われた日本軍とアメリカ軍による海戦。ガダルカナル島を奪回支援を行う第二艦隊、第三艦隊が空母3隻を主力とするF・J・フレッチャー中将率いる第61任務部隊と会敵。
日本は軽空母「龍驤」を失う。アメリカ海軍の被害は空母「エンタープライズ」中破に終わった。
大鷹
大鷹型航空母艦1番艦。元々は日本政府が戦時に航空母艦に改造する条件で建造費を補助した日本郵船の豪華客船新田丸級三姉妹船「春日丸」。
特設航空母艦「春日丸」としては1941年9月5日に就役しており、名を「大鷹」に改めて正規の航空母艦となったのが1942年8月31日となる。基準排水量は17,830トン。
雲鷹(艦これ未実装)
大鷹型航空母艦2番艦。元々は日本政府が戦時に航空母艦に改造する条件で建造費を補助した日本郵船の豪華客船新田丸級三姉妹船「八幡丸」。
特設航空母艦「八幡丸」としては1942年5月31日に竣工しており、名を「雲鷹」に改めて正規の航空母艦となったのが1942年8月31日となる。
南太平洋海戦
ソロモン諸島サンタ・クルーズ諸島沖で新生第一航空戦隊「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」擁する南雲機動部隊とミッドウェー海戦の仇敵「エンタープライズ」「ホーネット」擁する米空母機動部隊が戦闘。
第二航空戦隊「隼鷹」を加えた航空母艦4隻の艦載機によって「ホーネット」を沈め、 「エンタープライズ」を中破させることに成功。アメリカ海軍は一時的に稼働する空母が無くなった。これを「史上最悪の海軍記念日」と言う。
冲鷹(艦これ未実装)
元々は日本政府が戦時に航空母艦に改造する条件で建造費を補助した日本郵船の豪華客船新田丸級三姉妹船「新田丸」。
サンフランシスコ航路に就航していたが、日米の関係悪化後に航路がストップ。1942年8月に大日本帝国海軍が買収して航空母艦に改造された。1番艦、2番艦とは違って特設航空母艦時代は無い。
龍鳳
元潜水母艦大鯨。ロンドン海軍軍縮条約で航空母艦の保有量を制限された為、条約明けに航空母艦に改造できるように作られていた。基準排水量は13,360トン。
潜水母艦「大鯨」としては1934年3月31日に就役しているが、船体全てを電気溶接したことや大日本帝国海軍の大型艦艇で初めてディーゼルエンジンを搭載したことによってトラブルが続出。空母への改造時に陽炎型駆逐艦と同じタービンエンジンに換装している。
レンネル島沖海戦
ソロモン諸島レンネル島沖で発生した大日本帝国海軍航空部隊とアメリカ海軍の艦隊による海戦。
大日本帝国海軍の一式陸攻、九六式陸攻が重巡洋艦「シカゴ」を撃沈、駆逐艦「ラ・ヴァレット」を大破させた。ただ、空母「エンタープライズ」直援機、対空砲火によって陸攻10機を失った。
- 30日ビスマルク海海戦
ビスマルク海からダンピール海峡にかけての海域で連合国軍が日本軍の輸送船団を攻撃した戦い。
日本は輸送船8隻と駆逐艦「白雪」「荒潮」「時津風」「朝潮」を失った。ダンピールの悲劇と呼ぶ。なお、連合軍は新しい爆撃「反跳爆撃(Skip bombing)」を実践している。
- 3日い号作戦
大日本帝国海軍が空母艦載機を陸上基地で大規模に運用し、ガダルカナル島及びミルン湾及びオロ湾在拍方面敵艦船、ポートモレスビー飛行場及びラビ東飛行場を攻撃した。
ソロモン諸島、ニューギニア方面の敵船団、航空兵力の撃破。そして、同地域への輸送を円滑に進めることが目的だった。しかし、61機の航空兵力を失い、空母機動部隊の戦力を大きく低下させる結果となった。
- 4月15日千歳
元水上機母艦。千歳型航空母艦1番艦。ロンドン海軍軍縮条約で航空母艦の保有量を制限された為、条約明けに航空母艦に改造できるように作られていた。外観は龍鳳型・祥鳳型とよく似ている。
水上機母艦としては1938年7月25日に竣工している。
ろ号作戦
大日本帝国海軍がブーゲンビル島周辺の連合軍上陸船団と艦隊に対して行なった航空攻撃。
敵の進攻を一時的に阻止し、防衛体制強化の時間を稼ぐことが目的だったが、投入した第一航空戦隊の艦載飛行機隊搭乗員の約5割が戦死、艦載機121機を失い、一航戦飛行機隊が事実上壊滅。作戦は失敗に終わった。
- 11月12日海鷹(艦これ未実装)
元々は日本政府が戦時に航空母艦に改造する条件で建造費を補助した大阪商船の貨客船「あるぜんちな丸」。
1942年5月1日に特設輸送艦として徴用したが、ミッドウェー海戦後の6月30日に急遽空母に改造することが決まった。
神鷹
元々は第二次世界大戦勃発時に神戸港に係留されていたドイツ客船「シャルンホルスト」。
第二次世界大戦勃発によってドイツに帰れなくなっていた「シャルンホルスト」を日本海軍が買収して航空母艦に改装した。乗組員・乗客は独ソ戦が始まる前にシベリア鉄道を経由してドイツに帰国している。
マリアナ沖海戦
マリアナ諸島周辺で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍の空母機動部隊による海戦。マリアナ諸島に侵攻するアメリカ海軍を大日本帝国海軍が迎撃した。
米空母機動部隊は日本空母の第一次攻撃隊をレーダーで早期に探知。万全の態勢で待ち構え、第一次攻撃隊64機のうち41機を撃墜。第二次攻撃隊も128機のうち99機を失い、アメリカから「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄された。
航空母艦「大鳳」が米潜水艦「アルバコア」に雷撃されて損傷。「翔鶴」も米潜水艦「カヴァラ」に雷撃されて沈没。「翔鶴」沈没から間もなく「大鳳」が突如爆発して沈没した。
- 20日台湾沖航空戦
沖縄・台湾・フィリピン北部の航空基地を攻撃したアメリカ海軍の空母機動部隊を大日本帝国海軍の基地航空部隊が迎撃。
アメリカ海軍の重巡洋艦「キャンベラ」、軽巡洋艦「ヒューストン」を大破に追い込むが、日本は航空機312機を失い、対機動部隊戦法の中核と期待された「T攻撃部隊」のほとんどを消耗。レイテ沖海戦へ参加できなくなった。
- 10月16日エンガノ岬沖海戦
レイテ沖海戦の局面の一つ。栗田艦隊、西村艦隊、志摩艦隊のレイテ突入を支援する為、100機程度の航空戦力しか持たない小沢機動部隊がアメリカ海軍機動部隊を釣り出す囮として出撃。
第三航空戦隊の全ての航空母艦「千歳」「千代田」「瑞鶴」「瑞鳳」、軽巡洋艦「多摩」、駆逐艦「秋月」「初月」を失う。
信濃(艦これ未実装)
元大和型戦艦3番艦。ミッドウェー海戦の敗北で、建造途中だった大和型3番艦を空母に改造。
最後の艤装工事を行う為に呉に回航している最中に沈没した。書類上は完成しているが実際は未完成艦だった。
呉軍港空襲
連合国軍空母機動部隊航空隊、沖縄のアメリカ陸軍航空軍による呉軍港空襲。
日本は駆逐艦「梨」、潜水艦「伊404」を失い、戦艦「榛名」「伊勢」「日向」、重巡洋艦「青葉」「利根」が大破着底。航空母艦「天城」、軽巡洋艦「大淀」が転覆した。
- 7月28日終戦
終戦時まで残っていた艦は下記。
戦艦は榛名(大破着底)、伊勢(大破着底)、日向(大破着底)、長門(中破)。
航空母艦は鳳翔、隼鷹(機関損傷)、龍鳳(係留して対空砲台)、海鷹(擱座)、天城(転覆)、葛城。
重巡洋艦は青葉(大破着底)、妙高(航行不能)、高雄(航行不能)、利根(大破着底)。
軽巡洋艦は北上(航行不能)、大淀(転覆)、酒匂。
駆逐艦は澤風、汐風、夕風、波風、神風、春風(艦尾損失)、潮(航行不能)、響、雪風、涼月(係留して対空砲台)、冬月(戦後工作艦となる)、春月、宵月、夏月、花月、竹、桐、杉、槇、樫、榧、楢(航行不能)、柳(擱座)、椿(中破)、楓、欅、柿、樺、蔦、萩、菫、楠、初櫻、楡(中破)、椎、榎(擱座)、雄竹、初梅。
工作艦/給糧艦は伊良湖(大破着底)、早埼、白埼、荒埼。