大日本帝国海軍・駆逐艦の歴史
峯風型駆逐艦
八八艦隊計画に基づいて15隻建造した大型駆逐艦。39ノットの高速を発揮。4番艦の「島風(初代)」は当時の大日本帝国海軍最速記録となる速力40.7ノットを記録した。
太平洋戦争時は「島風(初代)」「灘風」が哨戒艇に艦種変更、「矢風」が標的艦、後に特務艦に艦種変更しているが、他の艦は駆逐艦として活躍した。
- 1920年05月29日:峯風(艦これ未実装)
- 1920年03月16日:澤風(艦これ未実装)
- 1920年08月17日:沖風(艦これ未実装)
- 1920年11月15日:島風(初代・未実装)→哨戒艇
- 1921年09月30日:灘風(艦これ未実装)→哨戒艇
- 1920年07月19日:矢風(艦これ未実装)→標的艦
- 1920年09月16日:羽風(艦これ未実装)
- 1921年07月29日:汐風(艦これ未実装)
- 1921年04月01日:秋風(艦これ未実装)
- 1921年08月24日:夕風(艦これ未実装)
- 1921年12月05日:太刀風(艦これ未実装)
- 1921年12月22日:帆風(艦これ未実装)
- 1922年03月31日:野風(艦これ未実装)
- 1922年11月11日:波風(艦これ未実装)
- 1922年07月24日:沼風(艦これ未実装)
ワシントン海軍軍縮会議
米英・日・仏伊の保有艦の総排水量比率を5:3:1.75に制定。建造中の艦船を廃艦することが決まった。
しかし、1万トン以下で20.3センチ以下の砲を持つ巡洋艦に制限を課さなかった為、各国は条約型巡洋艦の新造を進める結果となった。
- 1922年2月6日神風型駆逐艦
八八艦隊計画で主力大型駆逐艦として27隻建造予定だったが、ワシントン海軍軍縮条約により9隻で建造を中止した。
- 1922年12月28日:神風
- 1923年06月16日:朝風
- 1923年05月31日:春風
- 1924年04月05日:松風
- 1924年08月30日:旗風
- 1925年10月30日:追風(艦これ未実装)
- 1925年12月21日:疾風(艦これ未実装)
- 1924年12月29日:朝凪(艦これ未実装)
- 1925年04月24日:夕凪(艦これ未実装)
睦月型駆逐艦
ワシントン海軍軍縮条約によって大型艦の保有規模に制限が生じた為、制限を受けない駆逐艦の強化に乗り出した。
神風型と船体寸法がほぼ同じだが艦首形状をスプーン・バウからダブルカーブド・バウに変更。兵装も大日本帝国海軍の駆逐艦として初めて61cm魚雷を採用した。
- 1926年03月25日:睦月
- 1925年12月21日:如月
- 1926年08月28日:弥生
- 1926年09月14日:卯月
- 1925年11月15日:皐月
- 1927年03月22日:水無月
- 1926年07月03日:文月
- 1927年04月30日:長月
- 1926年11月20日:菊月
- 1927年05月07日:三日月
- 1927年10月31日:望月
- 1927年07月25日:夕月(艦これ未実装)
吹雪型駆逐艦(特型駆逐艦)
重武装かつ凌波性に優れた世界初の近代的な駆逐艦。初期の「特I型(吹雪型)」。艦橋構造物が大型化して搭載砲も異なる「特II型(綾波型)」。機関を改良した「特III型(暁型)」に分けられる。
吹雪沈没後は白雪型駆逐艦、白雪沈没後は初雪型駆逐艦に改定している。
- 1928年08月10日:吹雪
- 1928年12月18日:白雪
- 1929年03月30日:初雪
- 1929年06月29日:深雪
- 1929年05月10日:叢雲
- 1928年07月25日:東雲(艦これ未実装)
- 1928年07月26日:薄雲(艦これ未実装)
- 1928年08月28日:白雲(艦これ未実装)
- 1928年06月30日:磯波
- 1929年06月30日:浦波
世界恐慌
ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことをきっかけに世界を襲った大恐慌。
特に失業率40%を突破したドイツでは深刻な社会不安に陥り、ヒトラー率いるナチ党台頭の原因となった。
国政選挙でのナチ党の当選は1928年時点では12議席、しかし、1932年の選挙では全584議席中230議席を獲得して第一党に躍り出ている。
ロンドン海軍軍縮会議
英米・日の補助艦の総排水量比率を米英10:日6.975に制定。
条約型巡洋艦の新造ラッシュで軍備拡張が進んだ為、搭載する主砲によって重巡洋艦、軽巡洋艦に分類し、それぞれに保有量を定めた。
- 4月22日綾波型駆逐艦(特II型)
艦橋構造物が特I型よりも大型化し、特I型とは別のタイプの砲塔を持つ。
- 1930年04月30日:綾波
- 1929年12月24日:敷波
- 1930年06月30日:朝霧(艦これ未実装)
- 1930年12月03日:夕霧(艦これ未実装)
- 1930年11月10日:天霧
- 1931年01月31日:狭霧
- 1931年10月31日:朧
- 1931年07月31日:曙
- 1932年05月19日:漣
- 1931年11月14日:潮
満州事変
満洲駐留の大日本帝国陸軍「関東軍」が満州を占領。関東軍主導の下、日本租界へ身を寄せていた清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を担ぎ上げて満洲国を建国する。
一方、日本政府は9月19日に緊急閣議を開き、幣原喜重郎外務大臣が外交活動による解決を図ろうとした。
- 1933年5月31日暁型駆逐艦(特III型)
主機関の出力増大と空気余熱機の採用で航行性能や航続距離が向上している。
- 1932年11月30日:暁
- 1933年03月31日:響
- 1932年08月15日:雷
- 1932年11月15日:電
初春型駆逐艦
ロンドン海軍軍縮条約によって補助艦にまで制限が生じた為、制限を受ける特型駆逐艦よりも小さいが特型と同等の性能を持つ初春型駆逐艦を建造した。
当初は12隻の建造を予定していたが、残りの6隻を設計を改めて白露型として建造された。
- 1933年09月30日:初春
- 1933年09月30日:子日
- 1934年10月31日:若葉
- 1934年09月27日:初霜
- 1935年03月25日:有明(艦これ未実装)
- 1935年03月30日:夕暮(艦これ未実装)
友鶴事件
大日本帝国海軍の「友鶴」が演習中の波浪で転覆、総員113名中死者・行方不明者100名の大事故を起こした。
原因は艤装による復原力不足。設計上は90度傾いても転覆しない復元力を持たせているにも関わらず、「友鶴」は40度程度で転覆した。
第四艦隊事件
大日本帝国海軍の第四艦隊は三陸沖に向かう途中、太平洋で台風に遭遇。駆逐艦「初雪」「夕霧」が波浪で船体を切断。駆逐艦「睦月」が艦橋圧壊。航空母艦「龍驤」は艦橋前面破損。航空母艦「鳳翔」は甲板前端を圧壊するなど艦艇41隻の内19隻が損傷した。
白露型駆逐艦
小さな船体に過剰な武装を搭載した為に復原性が不足していることが分かった「初春型駆逐艦」の設計を変更、武装を練り直した改良型。
- 1936年03月25日:白露
- 1936年09月07日:時雨
- 1937年01月07日:村雨
- 1937年01月07日:夕立
- 1937年08月26日:春雨
- 1937年01月29日:五月雨
- 1937年05月31日:海風
- 1937年06月30日:山風
- 1937年04月30日:江風
- 1937年08月31日:涼風
朝潮型駆逐艦
海軍軍縮条約の破棄に合わせて建造を開始した大型駆逐艦。船体は特型駆逐艦と同じ大きさに戻った。
朝潮沈没後は満潮型駆逐艦に改定されている。
- 1937年08月31日:朝潮
- 1937年10月31日:大潮
- 1937年10月31日:満潮
- 1937年12月20日:荒潮
- 1938年01月15日:山雲
- 1938年02月10日:夏雲(艦これ未実装)
- 1938年03月31日:朝雲
- 1938年04月30日:峯雲
- 1939年04月30日:霰
- 1939年06月28日:霞
第二次世界大戦
- 1939年09月01日:ドイツ軍がポーランドへ侵攻
- 1939年10月06日:ポーランド降伏
- 1940年04月09日:デンマーク降伏
- 1940年06月08日:ノルウェー占領
- 1940年05月15日:オランダ降伏
- 1940年06月22日:フランス降伏
- 1940年07月10日:バトル・オブ・ブリテン
- 1940年09月07日:ロンドン大空襲
陽炎型駆逐艦
速度、航続距離が朝潮型を上回る新鋭駆逐艦。書類上は「甲型駆逐艦」。
陽炎沈没後は不知火型駆逐艦に改定されている。
- 1939年11月06日:陽炎
- 1939年12月20日:不知火
- 1940年01月15日:黒潮
- 1940年01月20日:雪風
- 1940年02月15日:初風
- 1940年08月21日:親潮
- 1940年08月21日:夏潮(艦これ未実装)
- 1940年08月21日:早潮(艦これ未実装)
- 1940年10月26日:天津風
- 1940年11月30日:磯風
- 1940年12月15日:時津風
- 1940年12月15日:浦風
- 1941年01月21日:嵐
- 1941年03月31日:萩風
- 1941年04月25日:谷風
- 1941年04月28日:野分
- 1941年06月30日:浜風
- 1941年07月15日:舞風
- 1941年09月27日:秋雲
日独伊三国同盟
中国国民党の蒋介石を支援するアメリカを牽制する為、ヨーロッパでの戦争に勝利を収めつつあるドイツと手を結ぶ。
松岡洋右外務大臣は三国同盟にソ連を加えた「ユーラシア大陸同盟(日独伊ソ四国同盟構想)」を目指して奔走。結果「日ソ中立条約」が結ばれることになる。
夕雲型駆逐艦
速力35ノットに達しない艦があった陽炎型駆逐艦の改良型。船体を延長して速力35ノットを堅持した。書類上は陽炎型駆逐艦と同じ「甲型駆逐艦」。
- 1941年12月05日:夕雲
- 1942年03月14日:巻雲
- 1942年03月28日:風雲
- 1942年06月30日:長波
- 1942年08月18日:巻波(艦これ未実装)
- 1942年08月31日:高波
- 1942年12月29日:大波(艦これ未実装)
- 1943年01月25日:清波(艦これ未実装)
- 1943年04月30日:玉波(艦これ未実装)
- 1943年07月27日:涼波(艦これ未実装)
- 1943年07月31日:藤波
- 1943年07月31日:早波
- 1943年10月15日:浜波
- 1943年11月27日:朝霜
- 1943年12月03日:岸波
- 1943年12月10日:沖波
- 1944年02月20日:早霜
- 1944年03月11日:秋霜(艦これ未実装)
- 1944年05月15日:清霜
太平洋戦争
- 1941年12月08日:マレー作戦・香港の戦い(対イギリス戦)
- 1941年12月08日:真珠湾攻撃(対アメリカ戦)
- 1941年12月08日:オランダ、大日本帝国に宣戦を布告
- 1941年12月10日:中華民国、大日本帝国に宣戦を布告
ウェーク島の戦い
大日本帝国海軍によるアメリカ合衆国領ウェーク島攻略戦。21日から始まる第二次攻略戦には航空母艦「飛龍」「蒼龍」が参加。ウェーク島を空襲した。
日本は駆逐艦「疾風」「如月」を失ったが、12月23日にウェーク島を占領した。
- 23日東雲沈没
ボルネオ島ミリ攻略作戦で上陸船団を護衛中に単独行動とり行方不明となった。僚艦「叢雲」が17日午後に海域を捜索し、樽や流出した重油を発見した。
敷設機雷に触れて轟沈したか、オランダ軍のGVT-2所属飛行艇の攻撃を受けて沈没したと考えられている。オランダ軍のGVT-2所属飛行艇は駆逐艦を爆撃したと報告している。
バリ島沖海戦
オランダ海軍のカレル・ドールマン少将率いる連合軍艦隊が日本のバリ島攻略船団を攻撃。戦力敵に上回る連合軍艦隊を日本の第八駆逐隊が撃退した。
日本は「満潮」が大破、「大潮」が大破、連合軍は駆逐艦「ピートハイン」が沈没、軽巡洋艦「トロンプ」が中破、駆逐艦「スチュワート」が小破した。
スラバヤ沖海戦
インドネシアのスラバヤ沖で行われた大日本帝国海軍とアメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリアの各国で構成した連合軍ABDA艦隊による海戦。日本は資源地帯のオランダ領インドネシア占領を目指していた。
連合軍は重巡洋艦「エクセター」、軽巡洋艦「デ・ロイテル」「ジャワ」、駆逐艦「コルテノール」「エレクトラ」「ジュピター」「エンカウンター」「ポープ」を失う。
- 3月1日バタビア沖海戦
ジャワ島のバタビア(ジャカルタ)沖で行われた大日本帝国海軍とスラバヤ沖海戦で敗れた残存艦隊による海戦。日本の輸送船団を攻撃していた残存艦隊を第3護衛隊、西方支援隊が迎撃した。
連合軍は重巡洋艦「ヒューストン」、軽巡洋艦「パース」、駆逐艦「エヴェルトセン」を失う。
- 3月1日チラチャップ沖海戦
重巡洋艦「高雄」「愛宕」「摩耶」、駆逐艦「野分」「嵐」による通商破壊作戦。
商船の拿捕・撃沈に加えてイギリス海軍の駆逐艦「ストロングホールド」、アメリカ海軍の駆逐艦「ピルスバリー」、砲艦「アッシュビル」、王立オーストラリア海軍の護衛艦「ヤラ」を撃沈している。
ミッドウェー海戦
ミッドウェー島攻略を目指す大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。
日本は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の航空母艦4隻、重巡洋艦「三隈」を失い、アメリカは航空母艦「ヨークタウン」、駆逐艦「ハンマン」を失う。
真珠湾攻撃で戦艦4隻、オーストラリア空襲、セイロン沖海戦で航空母艦1隻を沈め、敵航空機に至っては471機を撃墜と連戦連勝していた世界最強の空母機動部隊「南雲機動部隊」を一挙に失い、太平洋戦争の転換点になったと言われている。
- 6月7日キスカ島・アッツ島占領(AL作戦)
ダッチハーバー空襲の2日後の6月6日にアッツ島、7日にキスカ島を占領した。アメリカは第二次世界大戦で初めて自国の領土を失った。
アッツ島攻略には第一水雷戦隊と大日本帝国陸軍北海支隊、キスカ島攻略には第二一戦隊、第二二戦隊、第十三駆潜隊と大日本帝国海軍舞鶴第三陸戦隊があたった。
- 7日秋月型駆逐艦
防空巡洋艦の代わりに建造した駆逐艦。「乙型駆逐艦」「月型」とも呼ぶ。「秋月型」「冬月型」「満月型」と区別する場合もある。
12.7センチ高角砲に替わって、より長射程、高初速の10センチ高角砲を装備している。
- 1942年06月11日:秋月
- 1942年08月31日:照月
- 1942年12月29日:涼月
- 1942年12月29日:初月
- 1943年03月31日:新月(艦これ未実装)
- 1943年05月31日:若月(艦これ未実装)
- 1944年03月31日:霜月(艦これ未実装)
冬月型
- 1944年05月25日:冬月(艦これ未実装)
- 1944年12月28日:春月(艦これ未実装)
- 1945年01月31日:宵月(艦これ未実装)
- 1945年04月08日:夏月(艦これ未実装)
満月型
- 1945年01月03日:満月(工事中止)
- 1944年12月26日:花月(艦これ未実装)
第一次ソロモン海戦
ソロモン諸島サボ島沖で行われた大日本帝国海軍と連合国軍による海戦。鳥海を旗艦とする第八艦隊が自軍を上回る部隊が待つ敵泊地へ突入、連合国軍は重巡洋艦「キャンベラ」「ヴィンセンス」「クインシー」「アストリア」、駆逐艦「ジャービス」を失った。
しかし、夜戦を終えて味方の制空圏にまで離脱し、速力を落とした所を米潜水艦「S44」に雷撃され、重巡洋艦「加古」を失っている。
- 9日ラビの戦い
東部ニューギニアのミルン湾ラビで行われた大日本帝国海軍陸戦隊とオーストラリア・アメリカ連合軍による戦闘。
ミルン湾沿岸のラビには第8艦隊司令部が推定していた以上の連合軍がおり敗退した。また、日本は駆逐艦「弥生」を失った。
- 9月6日サボ島沖海戦
ソロモン諸島サボ島沖で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。ヘンダーソン飛行場の砲撃に向かう重巡洋艦「青葉」を旗艦とする第六戦隊がアメリカ艦隊を味方と誤認。
アメリカ側もT字戦法を維持しようと回頭しようとした際に隊列が乱れ、駆逐艦「ダンカン」「ファレンホルト」が味方の砲撃を受ける形となった。日本は重巡洋艦「古鷹」、駆逐艦「吹雪」を失い、アメリカは駆逐艦「ダンカン」を失った。
また、第六戦隊救援に向かった駆逐艦「叢雲」が敵航空機の攻撃を受けて航行不能(後に雷撃処分)、その救援に向かった「夏雲」も航空機の攻撃を受けて沈没した。
第三次ソロモン海戦(第1夜戦)
ソロモン海で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。戦艦「比叡」を旗艦とするガダルカナル島砲撃艦隊はヘンダーソン飛行場砲撃に向け出撃し、ガダルカナルへの輸送船団を護衛するダニエル・キャラハン少将率いる第67任務部隊4群と会敵。
日本は戦艦「比叡」、重巡洋艦「衣笠」、駆逐艦「暁」「夕立」を失い、アメリカは軽巡洋艦「アトランタ」「ジュノー」、駆逐艦「アーロン・ワード」「カッシング」「ラフィー」「バートン」「モンセン」を失う。
第三次ソロモン海戦(第2夜戦)
ソロモン海で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。戦艦「霧島」によるヘンダーソン飛行場砲撃作戦を実施。日本軍輸送船団撃退を目指すウィリス・A・リー少将率いる第64任務部隊と会敵。
日本は戦艦「霧島」、駆逐艦「綾波」を失い、アメリカは駆逐艦「ウォーク」「プレストン」「ベンハム」を失う。
- 11月15日ルンガ沖夜戦
鼠輸送(東京急行)を阻止する為、カールトン・ライト少将率いる第67任務部隊が日本の輸送部隊を攻撃。
揚陸準備に入っていた大日本帝国海軍は奇襲を受けた形となったが、警戒隊の駆逐艦「高波」が集中攻撃を浴びている間に態勢を立て直して雷撃。重巡洋艦「ノーザンプトン」が沈没、重巡洋艦「ミネアポリス」「ニューオリンズ」「ペンサコラ」が大破した。
ガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)
ヘンダーソン飛行場基地奪回を諦め、ガダルカナル島撤退を決めた日本軍によるガダルカナル島撤退作戦。撤退を隠す為に航空攻撃、輸送が続けられた。この撤退作戦の折に駆逐艦「巻雲」が触雷。航行不能となりて処分された。
アメリカ軍は日本軍が戦力を増援していると考えて阻止に動き、撤退作戦が完了した翌日朝になって初めて撤退に気付いた。
- 7日ビスマルク海海戦
ビスマルク海からダンピール海峡にかけての海域で連合国軍が日本軍の輸送船団を攻撃した戦い。
日本は輸送船8隻と駆逐艦「白雪」「荒潮」「時津風」「朝潮」を失った。ダンピールの悲劇と呼ぶ。なお、連合軍は新しい爆撃「反跳爆撃(Skip bombing)」を実践している。
- 3日陽炎・黒潮・親潮沈没
輸送任務中にでアウェイ島北西で機雷に接触して「黒潮」が沈没。
同じく触雷して航行不能に陥っていた「陽炎」「親潮」もSBD ドーントレス 19機とカーチス P-40 8機の攻撃を受けて沈没した。
島風
次世代の艦隊型駆逐艦として16隻の建造を予定していた島風型駆逐艦。水雷決戦を目的としていた艦隊型駆逐艦の最高峰。書類上の分類は「丙型駆逐艦」。
速力は40.37ノット。島風型用に開発した駆逐艦最大の5連装魚雷発射管を搭載している。建造に手間が掛かること、防空能力の高い秋月型駆逐艦を優先したことから島風型は島風1隻に終わった。
コロンバンガラ島沖海戦
ソロモン諸島コロンバンガラ島沖で行われた日本海軍の輸送部隊とアメリカ海軍による海戦。
輸送隊を護衛する第二水雷戦隊と鼠輸送(東京急行)阻止任務を帯びた第36.1任務群が会敵。軽巡洋艦「神通」が探照灯を照射して集中砲撃を受ける中、駆逐艦5隻が魚雷31本を発射して軽巡洋艦「リアンダー」が大破。
二度目の魚雷発射では駆逐艦「グウィン」を撃沈、軽巡洋艦「ホノルル」「セントルイス」が大破。同時に駆逐艦「ブキャナン」と「ウッドワース」が衝突して大破。日本は軽巡洋艦「神通」を失ったが敵を撃退し、輸送作戦は成功した。
- 13日夕暮・清波沈没
ラバウルからコロンバンガラ島への輸送任務を終えて帰還中、チョイセル島沖でヘンダーソン飛行場から飛び立ったTBF アヴェンジャーの攻撃を受けて「夕暮」が沈没。
「夕暮」の生存者の救助を行っていた「清波」も攻撃を受けて沈没した。
有明・三日月沈没
陸戦隊及び物資を搭載してツルブに向かう途中で「三日月」「有明」が座礁。「有明」は離礁に成功したがB-25爆撃機の攻撃を受けて沈没した。
また、B-25爆撃機の攻撃で損傷した「三日月」は駆逐艦「秋風」の到着をもって放棄された。
- 29日ベラ湾夜戦
コロンバンガラ島への輸送任務に従事していた駆逐艦4隻と「東京急行(鼠輸送)」遮断任務にあたっていたアメリカ海軍の駆逐艦6隻による海戦。日本は駆逐艦「萩風」「嵐」「江風」を失う。
なお、8月2日に駆逐艦「天霧」がアメリカ海軍の魚雷艇「PT-109」と衝突して真っ二つにしているが、その魚雷艇の艦長が後のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディだった。ケネディら乗組員は6キロ先の小島に泳ぎ着き、6日後に救助された。
- 7日第一次ベララベラ海戦
ソロモン諸島ベラ湾で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。
ベララベラ島に増援を送る輸送部隊と駆逐艦4隻がアメリカ海軍の駆逐艦4隻と会敵。補助艦艇に被害を出したが輸送には成功した。
第二次ベララベラ海戦
ベララベラ島沖で行われた大日本帝国海軍のベララベラ島撤収部隊とアメリカ海軍による海戦。
伊集院松治大佐率いる第三水雷戦隊とフランク・R・ウォーカー大佐率いる第4駆逐部隊が戦闘。日本は駆逐艦「夕雲」を失い、アメリカは駆逐艦「シャヴァリア」を失った。
- 7日ラバウル空襲
連合軍による日本軍の拠点ラバウルへの空襲。10月12日に爆撃機349機による大空襲が行われ、その後も空襲が続いた。
11月2日にはブーゲンビル島沖海戦から帰投したばかりの連合襲撃部隊が被害に遭い、11月5日には新たにラバウルに投入された重巡洋艦7隻を含む遊撃部隊が被害に遭い、11月11日には第二水雷戦隊の駆逐艦「涼波」が沈没した。
- 11月11日ブーゲンビル島沖海戦
ブーゲンビル島エンプレス・オーガスタ湾で行われた日本海軍連合襲撃部隊とアメリカ海軍第39任務部隊による海戦。大森仙太郎少将率いる連合襲撃部隊をアーロン・S・メリル少将率いる第39任務部隊が迎撃。
戦闘隊形の複雑さから軽巡洋艦「川内」が駆逐艦「時雨」に急接近して隊列が乱れ、駆逐艦「五月雨」と「白露」が衝突。駆逐艦「初風」も重巡洋艦「妙高」と衝突して艦首を切断。結局、日本は軽巡洋艦「川内」と駆逐艦「初風」を失った。
- 2日セント・ジョージ岬沖海戦
ニューアイルランド島セント・ジョージ岬東方海上で行われた大日本帝国海軍の輸送部隊とアメリカ海軍の第23駆逐部隊による海戦。
鼠輸送(東京急行)を察知したアメリカ海軍の第23駆逐部隊が輸送部隊を迎撃。日本は輸送任務についていた駆逐艦「夕霧」、警戒に当たっていた「巻波」「大波」を失った。
- 25日トラック島空襲(海軍丁事件)
アメリカ海軍の機動部隊による日本軍の拠点トラック島への空襲。2月4日のアメリカ海軍の偵察を受けて、10日に連合艦隊旗艦の戦艦「武蔵」が日本本土、第二航空戦隊がパラオへ退避した。
しかし、15日に日本へ出港した軽巡洋艦「阿賀野」はトラック沖で米潜水艦「スケート」に雷撃されて沈没。17日の空襲では軽巡洋艦「那珂」、練習巡洋艦「香取」、駆逐艦「追風」「舞風」が沈没。翌18日には「太刀風」「文月」が沈没した。
松型駆逐艦
太平洋戦争中に建造した戦時量産型駆逐艦。書類上は「丁型駆逐艦」
- 1944年04月28日:松(艦これ未実装)
- 1944年06月16日:竹(艦これ未実装)
- 1944年06月28日:梅(艦これ未実装)
- 1944年06月10日:桃(艦これ未実装)
- 1944年07月25日:桑(艦これ未実装)
- 1944年08月14日:桐(艦これ未実装)
- 1944年08月25日:杉(艦これ未実装)
- 1944年08月10日:槇(艦これ未実装)
- 1944年09月03日:樅(艦これ未実装)
- 1944年09月30日:樫(艦これ未実装)
- 1944年09月30日:榧(艦これ未実装)
- 1944年11月26日:楢(艦これ未実装)
- 1944年11月25日:櫻(艦これ未実装)
- 1945年01月18日:柳(艦これ未実装)
- 1944年11月30日:椿(艦これ未実装)
- 1944年09月30日:檜(艦これ未実装)
- 1944年10月30日:楓(艦これ未実装)
- 1944年12月15日:欅(艦これ未実装)
スカベンジャー作戦
アメリカ海軍機動部隊による小笠原諸島への攻撃作戦。日本は駆逐艦「松」、輸送船9隻を含む艦船12隻を失う。
アメリカ海軍はその後も小笠原諸島を攻撃し続けたが、その際に父島地上砲台の対空砲火を浴びて後のアメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュの乗機が撃墜されている。ブッシュ少尉は味方に救助された。
- 5日スリガオ海峡海戦
アメリカ軍の進攻阻止を目的としたレイテ沖海戦の局面の一つ。
レイテ湾に突入しようとした西村艦隊は戦艦「山城」「扶桑」、重巡洋艦「最上」、駆逐艦「山雲」「満潮」「朝雲」を失い、駆逐艦「時雨」を残して壊滅した。
エンガノ岬沖海戦
レイテ沖海戦の局面の一つ。栗田艦隊、西村艦隊、志摩艦隊のレイテ突入を支援する為、100機程度の航空戦力しか持たない小沢機動部隊がアメリカ海軍機動部隊を釣り出す囮として出撃。
第三航空戦隊の全ての航空母艦「千歳」「千代田」「瑞鶴」「瑞鳳」、軽巡洋艦「多摩」、駆逐艦「秋月」「初月」を失う。
野分沈没
サマール島沖海戦で航行不能に陥っていた「筑摩」の救援に向かい、乗員救助後に「筑摩」を雷撃処分。
その後に米高速戦艦部隊に捕捉されて巡洋艦「ヴィンセンス」「ビロックス」「マイアミ」、駆逐艦「オーエン」「ミラー」の射撃を受けて大破。最後は雷撃されて沈没した。
早霜擱座
栗田艦隊に所属してレイテ突入を目指していたが10月25日に米空母艦載機の攻撃を受け損傷。ミンドロ島南方を航行中に第38任務部隊の空母艦載機の攻撃を受け、沈没を防ぐ為にセミララ島の浅瀬に乗り上げた。
藤波沈没
サマール島沖海戦で航行不能に陥っていた「鳥海」の救援に向かい、乗員救助後に「鳥海」を雷撃処分。
その後「早霜」の救援に向かう途中、シブヤン海で第38任務部隊の米空母艦載機の攻撃を受けて沈没した。
ミンドロ島沖海戦(礼号作戦)
大日本帝国海軍によるフィリピン・ミンドロ島のアメリカ軍への攻撃。第二水雷戦隊司令官の木村昌福少将率いる挺身部隊がミンドロ島に突入した。旗艦は駆逐艦「霞」。
米航空機の攻撃で駆逐艦「清霜」が沈没。敵上陸地点沖合にいた輸送船4隻、物資集積所に砲撃を加え、仏領インドシナのカムラン湾へ帰投した。太平洋戦線における大日本帝国海軍の組織的戦闘における最後の勝利と言われている。
檜沈没
「樅」と共にマニラ沖でアメリカ艦隊の輸送船団に突撃、後に米空母艦載機の攻撃を受けて一時航行不能に陥るがマニラに帰投。
7日にマニラを出港した際に別の敵輸送船団と遭遇。アメリカ海軍の駆逐艦チャールズ・オースバーンの砲撃を受けて沈没した。
橘型駆逐艦
松型駆逐艦の工事を簡易化する為に再設計。工期は最短5ヶ月にまで短縮した。
- 1945年01月20日:橘(艦これ未実装)
- 1945年03月05日:柿(艦これ未実装)
- 1945年05月29日:樺(艦これ未実装)
- 1945年02月08日:蔦(艦これ未実装)
- 1945年03月01日:萩(艦これ未実装)
- 1945年03月26日:菫(艦これ未実装)
- 1945年04月28日:楠(艦これ未実装)
- 1945年05月28日:初櫻(艦これ未実装)
- 1945年01月31日:楡(艦これ未実装)
- 1945年03月15日:梨(艦これ未実装)
- 1945年03月13日:椎(艦これ未実装)
- 1945年03月31日:榎(艦これ未実装)
- 1945年05月15日:雄竹(艦これ未実装)
- 1945年06月18日:初梅(艦これ未実装)
坊ノ岬沖海戦
沖縄への水上特攻に向かう伊藤整一中将率いる第一遊撃部隊をマーク・ミッチャー中将率いる第58機動部隊の空母艦載機が迎撃。
第一遊撃部隊は戦艦「大和」、軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦「磯風」「浜風」「朝霜」「霞」を失う。帰還できたのは駆逐艦「冬月」「涼月」「雪風」「初霜」の4隻。
天津風爆破処分
南シナ海で米潜水艦「レッドフィン」の雷撃を受けて船体が二つに裂けて1週間漂流した。
シンガポールで切断箇所に仮艦首を装着。本格的な修理の為に日本本土へ帰還中、度重なる空襲を受けてアモイ島南岸で座礁。爆雷によって爆破処分された。
ペナン沖海戦
マラッカ海峡ペナン島沖で行われた日本海軍とイギリス海軍の海戦。第二次世界大戦最後の水上戦闘。
サマール沖海戦の際に2番砲塔を損傷、スクリューシャフトを損傷して速力が低下、さらに一部武装を撤去して物資を載せていた重巡洋艦「羽黒」及び駆逐艦「神風」をイギリスの第26駆逐隊が攻撃。「羽黒」は沈没した。
呉軍港空襲
連合国軍空母機動部隊航空隊、沖縄のアメリカ陸軍航空軍による呉軍港空襲。
日本は駆逐艦「梨」、潜水艦「伊404」を失い、戦艦「榛名」「伊勢」「日向」、重巡洋艦「青葉」「利根」が大破着底。航空母艦「天城」、軽巡洋艦「大淀」が転覆した。
- 7月28日終戦
終戦時まで残っていた艦は下記。
戦艦は榛名(大破着底)、伊勢(大破着底)、日向(大破着底)、長門(中破)。
航空母艦は鳳翔、隼鷹(機関損傷)、龍鳳(係留して対空砲台)、海鷹(擱座)、天城(転覆)、葛城。
重巡洋艦は青葉(大破着底)、妙高(航行不能)、高雄(航行不能)、利根(大破着底)。
軽巡洋艦は北上(航行不能)、大淀(転覆)、酒匂。
駆逐艦は澤風、汐風、夕風、波風、神風、春風(艦尾損失)、潮(航行不能)、響、雪風、涼月(係留して対空砲台)、冬月(戦後工作艦となる)、春月、宵月、夏月、花月、竹、桐、杉、槇、樫、榧、楢(航行不能)、柳(擱座)、椿(中破)、楓、欅、柿、樺、蔦、萩、菫、楠、初櫻、楡(中破)、椎、榎(擱座)、雄竹、初梅。
工作艦/給糧艦は伊良湖(大破着底)、早埼、白埼、荒埼。
朝鮮戦争
- 1950年06月25日:国境会戦
- 1950年07月07日:国連軍結成
- 1950年10月10日:日本特別掃海隊が参加
- 1950年10月19日:中国人民志願軍が参戦
- 1953年07月27日:休戦協定