大日本帝国海軍・戦艦の歴史
第一次世界大戦
- 1914年07月28日:オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告
- 1914年07月31日:ロシア帝国が総動員令を布告
- 1914年08月02日:ドイツ帝国がロシア帝国に宣戦布告
- 1914年08月03日:ドイツ帝国がフランスに宣戦布告
- 1914年08月04日:大英帝国がドイツ帝国に宣戦布告
- 1914年08月23日:日英同盟を結んでいた大日本帝国がドイツ帝国に宣戦布告
比叡
金剛型巡洋戦艦2番艦。「金剛」の建造上の技術は逐一、日本に伝えられ、横須賀海軍工廠で「金剛」から10ヶ月遅れで起工した。
ロンドン海軍軍縮条約の折には一時的に武装や装甲を撤去して練習戦艦に変更。練習戦艦となったことでスケジュールが組みやすく昭和天皇の御召艦としても活躍した。太平洋戦争で最初に沈没した戦艦となった。
榛名
金剛型巡洋戦艦3番艦。主力艦としては初の民間造船所製。
英ヴィッカース社製ではなく国産の35.6cm砲を持つ。姉妹艦の「金剛」はヴィッカース社製。「比叡」は主砲等の部品をヴィッカース社から輸入して作られている。
扶桑
世界最大・最強の純国産超弩級戦艦。弩級戦艦河内型を元に「金剛型」の最新設計を導入して建造した。ただし、生まれながら重大な欠陥を持つ失敗作となった。
一斉射撃をすれば全艦が猛烈な爆風に包まれ上部構造物に障害をもたらし、全長の50%を弾薬庫等の被弾危険箇所が占め、速力も22.5ノットと遅かった。
ユトランド沖海戦(大英帝国VSドイツ帝国)
デンマークのユトランド半島沖で起こった第一次世界大戦最大の海戦。大英帝国の戦艦と巡洋戦艦37隻を含む151隻とドイツ帝国の戦艦と巡洋戦艦21隻を含む99隻の大艦隊同士が激突。
大英帝国が巡洋戦艦「インディファティガブル」「クイーン・メアリ」「インヴィシブル」を含む14隻を失い、ドイツ帝国が巡洋戦艦「リュッツオウ」を含む11隻を失った。
- 6月1日山城
「扶桑」建造中に見付かった問題の修正が試みられた扶桑型2番艦。第一次近代化改装、第二次近代化改装を経て、1935年にはバルジを装着、水平防御甲板も強化、最大速力も24.5ノットとなったが、結局、第一級の戦艦にはなれなかった。
設備を増設していった結果、独特の多層式櫓檣楼を持つ。「山城」の艦橋の頂上は水面から50メートル以上と日本戦艦中最高となっている。
長門
完成当時は世界最大・最強・最高速の戦艦。長門型戦艦1番艦。日本が世界に先駆けて建造したユトランド沖海戦の戦訓を取り入れた新しいタイプの戦艦。ポスト・ユトランド型。41cm砲を搭載した世界のビッグ7の第1号。
陸奥
長門型戦艦2番艦。ワシントン海軍軍縮条約の「未完成艦は廃艦とする」条件に従いイギリス、アメリカに廃棄を求められたが最終的に廃棄を免れた。
ただ、代わりにアメリカは「コロラド」「 メリーランド」「 ウェストバージニア」の建造続行、イギリスは「ネルソン」「ロドニー」の建造が認められた。この5隻に「長門」「陸奥」を加えた7隻を世界のビッグ7と呼ぶ。
ワシントン海軍軍縮会議
米英・日・仏伊の保有艦の総排水量比率を5:3:1.75に制定。建造中の艦船を廃艦することが決まった。
しかし、1万トン以下で20.3センチ以下の砲を持つ巡洋艦に制限を課さなかった為、各国は条約型巡洋艦の新造を進める結果となった。
- 1922年2月6日世界恐慌
ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことをきっかけに世界を襲った大恐慌。
特に失業率40%を突破したドイツでは深刻な社会不安に陥り、ヒトラー率いるナチ党台頭の原因となった。
国政選挙でのナチ党の当選は1928年時点では12議席、しかし、1932年の選挙では全584議席中230議席を獲得して第一党に躍り出ている。
ロンドン海軍軍縮会議
英米・日の補助艦の総排水量比率を米英10:日6.975に制定。
条約型巡洋艦の新造ラッシュで軍備拡張が進んだ為、搭載する主砲によって重巡洋艦、軽巡洋艦に分類し、それぞれに保有量を定めた。
- 4月22日「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」を戦艦に艦種変更
戦艦と同じ攻撃力を持ち、戦艦よりも速いが装甲が薄い巡洋戦艦「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」を第一次近代化改装。艦種を「戦艦」に変更する。
また、1933年から1940年に行った第二次近代化改装ではボイラーと主機を換装。機関出力が2倍となり速力約30ノットの高速戦艦に生まれ変わった。
満州事変
満洲駐留の大日本帝国陸軍「関東軍」が満州を占領。関東軍主導の下、日本租界へ身を寄せていた清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を担ぎ上げて満洲国を建国する。
一方、日本政府は9月19日に緊急閣議を開き、幣原喜重郎外務大臣が外交活動による解決を図ろうとした。
- 1933年5月31日第二次世界大戦
- 1939年09月01日:ドイツ軍がポーランドへ侵攻
- 1939年10月06日:ポーランド降伏
- 1940年04月09日:デンマーク降伏
- 1940年06月08日:ノルウェー占領
- 1940年05月15日:オランダ降伏
- 1940年06月22日:フランス降伏
- 1940年07月10日:バトル・オブ・ブリテン
- 1940年09月07日:ロンドン大空襲
日独伊三国同盟
中国国民党の蒋介石を支援するアメリカを牽制する為、ヨーロッパでの戦争に勝利を収めつつあるドイツと手を結ぶ。
松岡洋右外務大臣は三国同盟にソ連を加えた「ユーラシア大陸同盟(日独伊ソ四国同盟構想)」を目指して奔走。結果「日ソ中立条約」が結ばれることになる。
太平洋戦争
- 1941年12月08日:マレー作戦・香港の戦い(対イギリス戦)
- 1941年12月08日:真珠湾攻撃(対アメリカ戦)
- 1941年12月08日:オランダ、大日本帝国に宣戦を布告
- 1941年12月10日:中華民国、大日本帝国に宣戦を布告
マレー沖海戦
マレー半島東方沖で日本海軍の航空部隊とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘。イギリスは戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」、巡洋戦艦「レパルス」を失う。
イギリスは王太子の称号を冠した最新鋭戦艦を失うと同時に1840年のアヘン戦争以来誇っていたアジアでの絶大な支配力を失った。
大和
史上最大の戦艦大和型戦艦1番艦。前代未聞の巨大砲46cm砲を搭載した大艦巨砲主義の極致。世界最大の戦艦ではあるが搭載砲の割にはコンパクトに作られている。
アメリカ海軍の戦艦がパナマ運河を通る為に艦幅33メートル以下となることから40.6cm三連装砲搭載と推定。その射程30,000メートルを上回る42,000メートルから一方的に砲撃できる46cm三連装砲を搭載することを前提に建造した。
ガダルカナル島の戦い
7月6日に大日本帝国海軍の設営隊が上陸。翌8月5日にガダルカナル陸上飛行基地の滑走路の第1期工事が完了したが、8月7日にアメリカ海軍の第1海兵師団上陸して占領。8月12日にヘンダーソン飛行場とした。
以降、大日本帝国陸軍による2度の総攻撃、海軍による第一次ソロモン海戦、第二次ソロモン海戦、サボ島沖海戦、ヘンダーソン基地艦砲射撃、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦、ルンガ沖夜戦、レンネル島沖海戦、ケ号作戦の舞台となった。
- 1943年2月7日ヘンダーソン基地艦砲射撃
ガダルカナル島のアメリカ軍飛行場ヘンダーソン基地に対して戦艦「金剛」「榛名」が三式弾、零式弾、一式弾、計966発を用いた艦砲射撃を行う。
ヘンダーソン飛行場は火の海と化したが、攻撃の少し前に完成していた第2飛行場の存在によって米航空隊は日本のガダルカナル島上陸部隊への攻撃を継続できた。基地射撃には成功したが目的(上陸部隊への攻撃阻止)は果たせなかった。
南太平洋海戦
ソロモン諸島サンタ・クルーズ諸島沖で新生第一航空戦隊「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」擁する南雲機動部隊とミッドウェー海戦の仇敵「エンタープライズ」「ホーネット」擁する米空母機動部隊が戦闘。
第二航空戦隊「隼鷹」を加えた航空母艦4隻の艦載機によって「ホーネット」を沈め、 「エンタープライズ」を中破させることに成功。アメリカ海軍は一時的に稼働する空母が無くなった。これを「史上最悪の海軍記念日」と言う。
第三次ソロモン海戦(第1夜戦)
ソロモン海で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。戦艦「比叡」を旗艦とするガダルカナル島砲撃艦隊はヘンダーソン飛行場砲撃に向け出撃し、ガダルカナルへの輸送船団を護衛するダニエル・キャラハン少将率いる第67任務部隊4群と会敵。
日本は戦艦「比叡」、重巡洋艦「衣笠」、駆逐艦「暁」「夕立」を失い、アメリカは軽巡洋艦「アトランタ」「ジュノー」、駆逐艦「アーロン・ワード」「カッシング」「ラフィー」「バートン」「モンセン」を失う。
第三次ソロモン海戦(第2夜戦)
ソロモン海で行われた大日本帝国海軍とアメリカ海軍による海戦。戦艦「霧島」によるヘンダーソン飛行場砲撃作戦を実施。日本軍輸送船団撃退を目指すウィリス・A・リー少将率いる第64任務部隊と会敵。
日本は戦艦「霧島」、駆逐艦「綾波」を失い、アメリカは駆逐艦「ウォーク」「プレストン」「ベンハム」を失う。
- 11月15日「伊勢」「日向」を航空戦艦に改装
ミッドウェー海戦で空母が足りなくなった為、戦艦の空母改造を検討。戦艦「日向」が第5砲塔爆発事故で5番砲塔を失っていたことから航空戦艦への改装が決定した。
5番、6番砲塔及び50口径三年式14cm砲を撤去して飛行甲板と格納庫を設けた。彗星14機、瑞雲8機を搭載予定だった。ただ、飛行甲板が空母の半分のスペースしか無い為、着艦ができず、同じ作戦行動を取っている空母に着艦する必要があった。
シブヤン海海戦
アメリカ軍の進攻阻止を目的としたレイテ沖海戦の局面の一つ。
シブヤン海に差し掛かった栗田艦隊は米空母「イントレピッド」「ボット」「レキシントン」「エセックス」「フランクリン」「エンタープライズ」艦載機の攻撃を受けて戦艦「武蔵」を失う。
スリガオ海峡海戦
アメリカ軍の進攻阻止を目的としたレイテ沖海戦の局面の一つ。
レイテ湾に突入しようとした西村艦隊は戦艦「山城」「扶桑」、重巡洋艦「最上」、駆逐艦「山雲」「満潮」「朝雲」を失い、駆逐艦「時雨」を残して壊滅した。
サマール沖海戦
アメリカ軍の進攻阻止を目的としたレイテ沖海戦の局面の一つ。
レイテ湾を目指していた栗田艦隊はサマール島沖で米護衛空母群タフィ3と遭遇。日本は重巡洋艦「鳥海」「鈴谷」「筑摩」を失い、アメリカは護衛空母「ガンビア・ベイ」、駆逐艦「ジョンストン」「ホーエル」「サミュエル・B・ロバーツ 」を失った。
坊ノ岬沖海戦
沖縄への水上特攻に向かう伊藤整一中将率いる第一遊撃部隊をマーク・ミッチャー中将率いる第58機動部隊の空母艦載機が迎撃。
第一遊撃部隊は戦艦「大和」、軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦「磯風」「浜風」「朝霜」「霞」を失う。帰還できたのは駆逐艦「冬月」「涼月」「雪風」「初霜」の4隻。
呉軍港空襲
連合国軍空母機動部隊航空隊、沖縄のアメリカ陸軍航空軍による呉軍港空襲。
日本は駆逐艦「梨」、潜水艦「伊404」を失い、戦艦「榛名」「伊勢」「日向」、重巡洋艦「青葉」「利根」が大破着底。航空母艦「天城」、軽巡洋艦「大淀」が転覆した。
- 7月28日終戦
終戦時まで残っていた艦は下記。
戦艦は榛名(大破着底)、伊勢(大破着底)、日向(大破着底)、長門(中破)。
航空母艦は鳳翔、隼鷹(機関損傷)、龍鳳(係留して対空砲台)、海鷹(擱座)、天城(転覆)、葛城。
重巡洋艦は青葉(大破着底)、妙高(航行不能)、高雄(航行不能)、利根(大破着底)。
軽巡洋艦は北上(航行不能)、大淀(転覆)、酒匂。
駆逐艦は澤風、汐風、夕風、波風、神風、春風(艦尾損失)、潮(航行不能)、響、雪風、涼月(係留して対空砲台)、冬月(戦後工作艦となる)、春月、宵月、夏月、花月、竹、桐、杉、槇、樫、榧、楢(航行不能)、柳(擱座)、椿(中破)、楓、欅、柿、樺、蔦、萩、菫、楠、初櫻、楡(中破)、椎、榎(擱座)、雄竹、初梅。
工作艦/給糧艦は伊良湖(大破着底)、早埼、白埼、荒埼。