大日本帝国海軍・軽巡洋艦の歴史

軽巡洋艦

龍田

天龍型軽巡洋艦2番艦。1番艦の天龍よりも早く就役した。

軽巡洋艦

天龍

天龍型軽巡洋艦1番艦。イギリス海軍のC級軽巡洋艦を参考にして設計した3,500トン型軽巡洋艦。

軽巡洋艦

球磨

球磨型軽巡洋艦1番艦。アメリカ海軍のオマハ級軽巡洋艦を意識した軽巡洋艦。

球磨型、長良型、川内型の5,500トン型軽巡洋艦の先駆け。速力は36ノット。

軽巡洋艦

多摩

球磨型軽巡洋艦2番艦。

軽巡洋艦

北上

球磨型軽巡洋艦3番艦。

1941年9月に重雷装艦、1942年9月に高速輸送艦、1945年1月には回天搭載母艦に改装されている。

軽巡洋艦

木曾

球磨型軽巡洋艦5番艦。4番艦の大井よりも早く就役した。

他の球磨型より艦橋構造物が大型化している他、1番、2番煙突上部にそろばん型の雨水除去装置を設置している。

軽巡洋艦

大井

球磨型軽巡洋艦4番艦。就役後は練習官となっていたが、軽巡洋艦「北上」と共に重雷装艦に改装された。

艦名は英語表記にした場合「oi」となり、海防艦「伊王(io)」と並んで世界一短い艦名だと言われている。

海軍軍縮会議

ワシントン海軍軍縮会議

米英・日・仏伊の保有艦の総排水量比率を5:3:1.75に制定。建造中の艦船を廃艦することが決まった。

しかし、1万トン以下で20.3センチ以下の砲を持つ巡洋艦に制限を課さなかった為、各国は条約型巡洋艦の新造を進める結果となった。

- 1922年2月6日
軽巡洋艦

長良

長良型軽巡洋艦1番艦。球磨型軽巡洋艦の改良型。船型、主要寸法は同じ。

軽巡洋艦

名取

長良型軽巡洋艦3番艦。2番艦の五十鈴よりも早く就役した。

軽巡洋艦

鬼怒

長良型軽巡洋艦5番艦。2番艦の五十鈴、4番艦の由良よりも早く就役した。

軽巡洋艦

由良

長良型軽巡洋艦4番艦。2番艦の五十鈴よりも早く就役した。太平洋戦争で最初に沈没した軽巡洋艦となった。

なお、長良型軽巡洋艦3番艦までが八四計画、4番艦以降は八六計画で建造した為、由良以降の艦を「由良型」と呼ぶこともある。

軽巡洋艦

夕張

2890トンの船体に5500トン型軽巡洋艦と同等の砲備雷装を備えながら、5500トン型を超える航洋性能を持つ。速力は35.5ノット。

世界の海軍が驚いた小型軽巡洋艦。平賀譲大佐設計。ただし、小型艦の為、航続力は劣り、水上偵察機も搭載できなかった。

軽巡洋艦

五十鈴

長良型軽巡洋艦2番艦。歴代艦長には兵学校創立以来の秀才・堀悌吉、連合艦隊司令長官・山本五十六、第二航空戦隊司令官・山口多聞がいる。

また、アメリカの空母機動部隊艦載機の攻撃によって損傷した際に主砲を全て40口径八九式12.7cm連装高角砲に換装。水中探信儀、水中聴音機、爆雷投射機も増備し、対空と対潜に特化した5500トン型軽巡の中では異色の防空巡洋艦となった。

歴史

関東大震災

神奈川県相模湾北西沖80kmを震源としたマグニチュード7.9の地震が発生。被害の中心は神奈川県。190万人が被災、10万5千人が死亡・行方不明となった。

軽巡洋艦

川内

川内型軽巡洋艦1番艦。5500トン型軽巡洋艦シリーズの最終型。重油専焼缶を減らして重油石炭混焼缶を増やして重油の消費量減少を図っている。

この為、天龍型、球磨型、長良型の3本煙突とは異なり、川内型は4本煙突となっている。

軽巡洋艦

阿武隈

長良型軽巡洋艦6番艦。関東大震災で造船所が被害を受け、完成が1年以上も遅れた。

1938年に四連装発射管2基の換装を受け、酸素魚雷の発射能力を得ている。太平洋戦争中に「名取」「五十鈴」も換装を受けた。

軽巡洋艦

神通

川内型軽巡洋艦2番艦。アメリカ海軍少将で戦史研究家のサミュエル・E・モリソンは「神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である」としている。

1927年に島根県美保関沖で夜間無灯火演習中に駆逐艦「蕨」と衝突事故(美保関事件)を起こして大破。艦首の修理にあたって3番艦「那珂」と同じダブルカーブド・バウに変更されている。

軽巡洋艦

那珂

川内型軽巡洋艦3番艦。

2番艦として工事を始めたが、関東大震災で船体を損傷した為、一度解体した上で3番艦として再び工事を始めた。その際に艦首の形状をスプーン・バウからダブルカーブド・バウに改めている。

海軍軍縮会議

ジュネーブ海軍軍縮会議

巡洋艦以下の補助艦の制限を決める国際軍縮会議だが、英国の「個艦規制主義」と米国の「比率主義」が平行線を辿り決裂した。

- 8月4日
歴史

世界恐慌

ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことをきっかけに世界を襲った大恐慌。

特に失業率40%を突破したドイツでは深刻な社会不安に陥り、ヒトラー率いるナチ党台頭の原因となった。

国政選挙でのナチ党の当選は1928年時点では12議席、しかし、1932年の選挙では全584議席中230議席を獲得して第一党に躍り出ている。

海軍軍縮会議

ロンドン海軍軍縮会議

英米・日の補助艦の総排水量比率を米英10:日6.975に制定。

条約型巡洋艦の新造ラッシュで軍備拡張が進んだ為、搭載する主砲によって重巡洋艦、軽巡洋艦に分類し、それぞれに保有量を定めた。

- 4月22日
歴史

満州事変

満洲駐留の大日本帝国陸軍「関東軍」が満州を占領。関東軍主導の下、日本租界へ身を寄せていた清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を担ぎ上げて満洲国を建国する。

一方、日本政府は9月19日に緊急閣議を開き、幣原喜重郎外務大臣が外交活動による解決を図ろうとした。

- 1933年5月31日
海軍軍縮会議

第二次ロンドン海軍軍縮会議

日本・イタリアが脱退。軍縮時代が終わる。

- 1936年3月25日
歴史

日中戦争(支那事変)

  • 1937年07月07日:盧溝橋事件
  • 1937年07月25日:廊坊事件
  • 1937年08月13日:第二次上海事変
歴史

第二次世界大戦

  • 1939年09月01日:ドイツ軍がポーランドへ侵攻
  • 1939年10月06日:ポーランド降伏
  • 1940年04月09日:デンマーク降伏
  • 1940年06月08日:ノルウェー占領
  • 1940年05月15日:オランダ降伏
  • 1940年06月22日:フランス降伏
  • 1940年07月10日:バトル・オブ・ブリテン
  • 1940年09月07日:ロンドン大空襲
歴史

日独伊三国同盟

中国国民党の蒋介石を支援するアメリカを牽制する為、ヨーロッパでの戦争に勝利を収めつつあるドイツと手を結ぶ。

松岡洋右外務大臣は三国同盟にソ連を加えた「ユーラシア大陸同盟(日独伊ソ四国同盟構想)」を目指して奔走。結果「日ソ中立条約」が結ばれることになる。

改装

「北上」「大井」を重雷装艦に改装

7門ある14cm主砲の内3門を降ろして61cm4連装魚雷発射管 10基40門を搭載した。

歴史

太平洋戦争

  • 1941年12月08日:マレー作戦・香港の戦い(対イギリス戦)
  • 1941年12月08日:真珠湾攻撃(対アメリカ戦)
  • 1941年12月08日:オランダ、大日本帝国に宣戦を布告
  • 1941年12月10日:中華民国、大日本帝国に宣戦を布告
海戦

バリクパパン沖海戦

ボルネオ島バリクパパン上陸作戦を軽巡洋艦「那珂」を旗艦とする第4水雷戦隊が護衛するが、オランダ潜水艦「K-18」の雷撃、オランダ軍のB-10爆撃機の空襲で輸送船2隻を失う。

また、続くアメリカ海軍の第59駆逐隊「ジョン・D・フォード」「ポープ」「パロット」「ポール・ジョーンズ」の攻撃によって輸送船3隻、哨戒艇1隻を失った。アメリカ海軍の損害は「ジョン・D・フォード」の小破のみ。

海戦

エンドウ沖海戦

マレー半島南部エンドウ沖で行われた海戦。日本の輸送船団を攻撃したイギリス海軍の駆逐艦「サネット」と王立オーストラリア海軍の駆逐艦「ヴァンパイア」を軽巡洋艦「川内」率いる第3水雷戦隊が迎撃。

イギリスは駆逐艦「サネット」を失った。

海戦

スラバヤ沖海戦

インドネシアのスラバヤ沖で行われた大日本帝国海軍とアメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリアの各国で構成した連合軍ABDA艦隊による海戦。日本は資源地帯のオランダ領インドネシア占領を目指していた。

連合軍は重巡洋艦「エクセター」、軽巡洋艦「デ・ロイテル」「ジャワ」、駆逐艦「コルテノール」「エレクトラ」「ジュピター」「エンカウンター」「ポープ」を失う。

- 3月1日
海戦

バタビア沖海戦

ジャワ島のバタビア(ジャカルタ)沖で行われた大日本帝国海軍とスラバヤ沖海戦で敗れた残存艦隊による海戦。日本の輸送船団を攻撃していた残存艦隊を第3護衛隊、西方支援隊が迎撃した。

連合軍は重巡洋艦「ヒューストン」、軽巡洋艦「パース」、駆逐艦「エヴェルトセン」を失う。

- 3月1日
海戦

クリスマス島の戦い

 大日本帝国海軍によるイギリスの植民地クリスマス島攻略作戦。軽巡洋艦「那珂」「名取」「長良」ほか駆逐艦8隻が攻略部隊となったが、クリスマス島では「イギリスの支配から解放する」という日本の呼びかけに応じてインド人兵士が反乱。

 インド人兵士がイギリス軍指揮官を殺害した為、抵抗を受けることなく占領できた。しかし、米潜水艦「シーウルフ」の雷撃を受けて「那珂」が航行不能となっている。

- 4月1日
海戦

キスカ島・アッツ島占領(AL作戦)

ダッチハーバー空襲の2日後の6月6日にアッツ島、7日にキスカ島を占領した。アメリカは第二次世界大戦で初めて自国の領土を失った。

アッツ島攻略には第一水雷戦隊と大日本帝国陸軍北海支隊、キスカ島攻略には第二一戦隊、第二二戦隊、第十三駆潜隊と大日本帝国海軍舞鶴第三陸戦隊があたった。

- 7日
海戦

ガダルカナル島の戦い

7月6日に大日本帝国海軍の設営隊が上陸。翌8月5日にガダルカナル陸上飛行基地の滑走路の第1期工事が完了したが、8月7日にアメリカ海軍の第1海兵師団上陸して占領。8月12日にヘンダーソン飛行場とした。

以降、大日本帝国陸軍による2度の総攻撃、海軍による第一次ソロモン海戦、第二次ソロモン海戦、サボ島沖海戦、ヘンダーソン基地艦砲射撃、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦、ルンガ沖夜戦、レンネル島沖海戦、ケ号作戦の舞台となった。

- 1943年2月7日
沈没

由良沈没

ガダルカナル島のアメリカ軍攻撃へ出撃するもヘンダーソン飛行場とエスピリトゥサント島から飛来した米航空機の攻撃を受けて航行不能に陥り、僚艦「夕立」「春雨」の砲雷撃によって処分された。

軽巡洋艦

阿賀野

阿賀野型軽巡洋艦1番艦。基準排水量6,652トン。速力35ノット。大日本帝国海軍が水雷戦隊旗艦用に建造した最後の艦型となった。

また、5500トン型軽巡洋艦シリーズが採用していた「14cm速射砲」より大きな「四十一式 15.2cm(50口径)連装砲」を搭載している。前身は金剛型巡洋戦艦の副砲。

沈没

天龍沈没

マダン上陸作戦の支援中に米潜水艦「アルバコア」に雷撃されて沈没した。

軽巡洋艦

大淀

新型の高速水上偵察機を搭載し、最前線で強行偵察を行うことを目的とした偵察巡洋艦。基準排水量8,146トン。

大日本帝国海軍最後の連合艦隊旗艦。なお、2番艦の仁淀の建造計画もあった。

軽巡洋艦

能代

阿賀野型軽巡洋艦2番艦。

海戦

コロンバンガラ島沖海戦

ソロモン諸島コロンバンガラ島沖で行われた日本海軍の輸送部隊とアメリカ海軍による海戦。

輸送隊を護衛する第二水雷戦隊と鼠輸送(東京急行)阻止任務を帯びた第36.1任務群が会敵。軽巡洋艦「神通」が探照灯を照射して集中砲撃を受ける中、駆逐艦5隻が魚雷31本を発射して軽巡洋艦「リアンダー」が大破。

二度目の魚雷発射では駆逐艦「グウィン」を撃沈、軽巡洋艦「ホノルル」「セントルイス」が大破。同時に駆逐艦「ブキャナン」と「ウッドワース」が衝突して大破。日本は軽巡洋艦「神通」を失ったが敵を撃退し、輸送作戦は成功した。

- 13日
海戦

ラバウル空襲

連合軍による日本軍の拠点ラバウルへの空襲。10月12日に爆撃機349機による大空襲が行われ、その後も空襲が続いた。

11月2日にはブーゲンビル島沖海戦から帰投したばかりの連合襲撃部隊が被害に遭い、11月5日には新たにラバウルに投入された重巡洋艦7隻を含む遊撃部隊が被害に遭い、11月11日には第二水雷戦隊の駆逐艦「涼波」が沈没した。

- 11月11日
海戦

ブーゲンビル島沖海戦

ブーゲンビル島エンプレス・オーガスタ湾で行われた日本海軍連合襲撃部隊とアメリカ海軍第39任務部隊による海戦。大森仙太郎少将率いる連合襲撃部隊をアーロン・S・メリル少将率いる第39任務部隊が迎撃。

戦闘隊形の複雑さから軽巡洋艦「川内」が駆逐艦「時雨」に急接近して隊列が乱れ、駆逐艦「五月雨」と「白露」が衝突。駆逐艦「初風」も重巡洋艦「妙高」と衝突して艦首を切断。結局、日本は軽巡洋艦「川内」と駆逐艦「初風」を失った。

- 2日
軽巡洋艦

矢矧

阿賀野型軽巡洋艦3番艦。

機密保持の為、進水式で配った記念酒盃には「矢矧」とは記さず、矢に萩の花をあしらった絵を描いていた。

沈没

球磨沈没

対潜戦演習の為に駆逐艦「浦波」とペナンを出港した所を英潜水艦「タリホー」に雷撃されて沈没した。

海戦

トラック島空襲(海軍丁事件)

アメリカ海軍の機動部隊による日本軍の拠点トラック島への空襲。2月4日のアメリカ海軍の偵察を受けて、10日に連合艦隊旗艦の戦艦「武蔵」が日本本土、第二航空戦隊がパラオへ退避した。

しかし、15日に日本へ出港した軽巡洋艦「阿賀野」はトラック沖で米潜水艦「スケート」に雷撃されて沈没。17日の空襲では軽巡洋艦「那珂」、練習巡洋艦「香取」、駆逐艦「追風」「舞風」が沈没。翌18日には「太刀風」「文月」が沈没した。

沈没

龍田沈没

東松2号船団の護衛任務中に八丈島沖で米潜水艦「サンドランス」に雷撃されて沈没した。

沈没

夕張沈没

輸送作戦を終え、パラオに向けて航行中の所を米潜水艦「ブルーギル」に雷撃されて沈没した。

沈没

大井沈没

南シナ海で米潜水艦「フラッシャー」に雷撃されて沈没した。

沈没

長良沈没

鹿児島を出港して佐世保へ向かう途中、米潜水艦「クローカー」に雷撃されて沈没した。

沈没

名取沈没

サマール島沖で米潜水艦「ハードヘッド」に雷撃されて沈没した。

海戦

エンガノ岬沖海戦

レイテ沖海戦の局面の一つ。栗田艦隊、西村艦隊、志摩艦隊のレイテ突入を支援する為、100機程度の航空戦力しか持たない小沢機動部隊がアメリカ海軍機動部隊を釣り出す囮として出撃。

第三航空戦隊の全ての航空母艦「千歳」「千代田」「瑞鶴」「瑞鳳」、軽巡洋艦「多摩」、駆逐艦「秋月」「初月」を失う。

沈没

能代沈没

サマール島沖海戦を終えて帰投している最中にアメリカ海軍の第38任務部隊の空母艦載機による攻撃を受けて沈没した。

沈没

阿武隈沈没

カラミアン諸島のコロン島へ向けて航行中、ネグロス島沖でB-24爆撃機30機による攻撃を受けて沈没した。

沈没

鬼怒・浦波沈没

多号作戦(レイテ増援輸送作戦)の第1次作戦に従事していた所を米空母艦載機の攻撃を受け、青葉を除く軽巡洋艦「鬼怒」、駆逐艦「浦波」が沈没した。

沈没

木曾沈没

マニラ湾に停泊中に米航空機の攻撃を受け沈没した。

軽巡洋艦

酒匂

阿賀野型軽巡洋艦4番艦。作戦に参加することなく無傷で終戦を迎えた。

海戦

ミンドロ島沖海戦(礼号作戦)

大日本帝国海軍によるフィリピン・ミンドロ島のアメリカ軍への攻撃。第二水雷戦隊司令官の木村昌福少将率いる挺身部隊がミンドロ島に突入した。旗艦は駆逐艦「霞」。

米航空機の攻撃で駆逐艦「清霜」が沈没。敵上陸地点沖合にいた輸送船4隻、物資集積所に砲撃を加え、仏領インドシナのカムラン湾へ帰投した。太平洋戦線における大日本帝国海軍の組織的戦闘における最後の勝利と言われている。

沈没

五十鈴沈没

スンダ列島所在の陸軍部隊を撤退させる「二号作戦」に従事中、米潜水艦「ガビラン」「チャー」に雷撃されて沈没した。

海戦

坊ノ岬沖海戦

沖縄への水上特攻に向かう伊藤整一中将率いる第一遊撃部隊をマーク・ミッチャー中将率いる第58機動部隊の空母艦載機が迎撃。

第一遊撃部隊は戦艦「大和」、軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦「磯風」「浜風」「朝霜」「霞」を失う。帰還できたのは駆逐艦「冬月」「涼月」「雪風」「初霜」の4隻。

海戦

呉軍港空襲

連合国軍空母機動部隊航空隊、沖縄のアメリカ陸軍航空軍による呉軍港空襲。

日本は駆逐艦「梨」、潜水艦「伊404」を失い、戦艦「榛名」「伊勢」「日向」、重巡洋艦「青葉」「利根」が大破着底。航空母艦「天城」、軽巡洋艦「大淀」が転覆した。

- 7月28日
終戦

終戦

終戦時まで残っていた艦は下記。

戦艦は榛名(大破着底)、伊勢(大破着底)、日向(大破着底)、長門(中破)。

航空母艦は鳳翔、隼鷹(機関損傷)、龍鳳(係留して対空砲台)、海鷹(擱座)、天城(転覆)、葛城。

重巡洋艦は青葉(大破着底)、妙高(航行不能)、高雄(航行不能)、利根(大破着底)。

軽巡洋艦は北上(航行不能)、大淀(転覆)、酒匂。

駆逐艦は澤風、汐風、夕風、波風、神風、春風(艦尾損失)、潮(航行不能)、響、雪風、涼月(係留して対空砲台)、冬月(戦後工作艦となる)、春月、宵月、夏月、花月、竹、桐、杉、槇、樫、榧、楢(航行不能)、柳(擱座)、椿(中破)、楓、欅、柿、樺、蔦、萩、菫、楠、初櫻、楡(中破)、椎、榎(擱座)、雄竹、初梅。

工作艦/給糧艦は伊良湖(大破着底)、早埼、白埼、荒埼。

沈没

酒匂沈没

アメリカ軍が接収後、ビキニ環礁で実施した原爆実験「クロスロード作戦」の標的艦として投入した。

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