大日本帝国海軍・ドイツ艦の歴史
Z1型駆逐艦(ドイツ)
ドイツが第一次世界大戦後に初めて建造した駆逐艦。
- 1937年04月13日:Z1 レーベレヒト・マース
- 1937年02月27日:Z2 ゲオルク・ティーレ(艦これ未実装)
- 1937年04月08日:Z3 マックス・シュルツ
- 1937年04月13日:Z4 リヒャルト・バイツェン(艦これ未実装)
第二次世界大戦
- 1939年09月01日:ドイツ軍がポーランドへ侵攻
- 1939年10月06日:ポーランド降伏
- 1940年04月09日:デンマーク降伏
- 1940年06月08日:ノルウェー占領
- 1940年05月15日:オランダ降伏
- 1940年06月22日:フランス降伏
- 1940年07月10日:バトル・オブ・ブリテン
- 1940年09月07日:ロンドン大空襲
ヴィーキンガー作戦(ドイツ)
北海でイギリス漁船を拿捕・撃沈するドイツ軍の作戦。
作戦中に敵と誤認したドイツ空軍のハインケル He111の爆撃によって「Z1」、同じ機による爆撃又はイギリス海軍の機雷によって「Z3」が沈没した。
プリンツ・オイゲン(ドイツ)
アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦3番艦。アドミラル・ヒッパー級は対外的にはワシントン海軍軍縮条約に準じた排水量10,000トンとしていたが、実際は前弩級戦艦並の大型巡洋艦だった。
3番艦「プリンツ・オイゲン」の基準排水量は15,000トン。外観はビスマルク級戦艦に意図的に似せており、イギリス艦隊は「デンマーク海峡海戦」で「プリンツ・オイゲン」を「ビスマルク」と誤認している。なお、強運の巡洋艦としても知られる。
ビスマルク(ドイツ)
ビスマルク級戦艦1番艦。ドイツ海軍最大の戦艦。大和が誕生するまでは世界最大の戦艦だった。
ただし、第一次世界大戦終結から1935年にアドルフ・ヒトラーが再軍備を宣言するまでの長い技術的隔絶もあって設計の古さが目立つ。
デンマーク海峡海戦(イギリスVSドイツ)
デンマーク海峡で行われたドイツ海軍とイギリス海軍による海戦。通商破壊作戦の為に北大西洋に進出しようとするドイツ戦艦ビスマルク、重巡洋艦プリンツ・オイゲンをイギリス艦隊が迎撃。
イギリス海軍は1920年の就役以降、長らく世界最大・最強と言われていた巡洋戦艦フッドを失った。
ビスマルク追撃戦(イギリスVSドイツ)
前日のデンマーク海峡海戦でビスマルクの砲撃を浴びて沈んだ巡洋戦艦フッドの仇を討つ為にイギリス海軍がビスマルクを追撃。
24日に空母ヴィクトリアス艦載機、26日に空母アーク・ロイヤル艦載機、軽巡洋艦シェフィールド、駆逐艦5隻、27日に戦艦キング・ジョージ5世、ロドニー、重巡洋艦ノーフォーク、ドーセットシャーと戦った末にビスマルクは沈没した。
U-511
IXC型潜水艦U-511。UボートIXC型は航続距離が長い大西洋での通商破壊に向いた艦型。同型艦は54隻。
1943年5月10日にフランスのロリアンを出港。8月7日に呉入港。9月16日に大日本帝国海軍の「呂号第五百潜水艦」となるが、実践には投入されずに終戦を迎える。
ツェルベルス作戦(ドイツ)
イギリス空軍の空襲を繰り返し受けるフランスのブレスト港にあったドイツ海軍の巡洋戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウ、重巡洋艦プリンツ・オイゲンのドイツ本国への帰還作戦。
イギリス軍の雷撃機フェアリー ソードフィッシュ、高速魚雷艇の攻撃を退けながらイギリス海峡を白昼堂々突破した。
- 12日神鷹
元々は第二次世界大戦勃発時に神戸港に係留されていたドイツ客船「シャルンホルスト」。
第二次世界大戦勃発によってドイツに帰れなくなっていた「シャルンホルスト」を日本海軍が買収して航空母艦に改装した。乗組員・乗客は独ソ戦が始まる前にシベリア鉄道を経由してドイツに帰国している。