まったく、つまらん仕事を引き受けたもんだ……
秋也は今回の仕事を引き受けたことを後悔しながら、逃走者、緋山宗司のことを見つめていた。
「良い度胸だな……! 今の言葉、そっくりそのままお前に返してやる!」
そう言い放つと宗司は先ほどと同様数枚の札を懐より取り出した。
「《炎呪》!」
ただ一言呟き札を秋也の方に投げつける。 しかし、前回とまったく同じ手が、しかも不意打ちでもなく正面からの攻撃が通用するはずもなく、秋也は軽々と炎の矢を避けつつ反撃に転じた。
「《身に纏うは紅蓮の業火》 《火鼠は躍る》(アズル=カルト)」
短い演唱で追跡中から頭の中で描いていた魔方陣を発動させる。 すると秋也の周りに無数の炎の槍が現れ、宗司に向かって加速する。 それは宗司が繰り出した炎の矢とは数も威力も格段に違うということは傍から見ても明らかであった。
「馬鹿な! この魔法は!?」
そう言いつつ宗司は一枚の札と取り出し簡易結界を張る。
「《護法陣》!」
迫り来る炎の槍はその結界を破壊できぬまま次々に消えて行く。 そして、最後の一つまで結界を破ることはできなかった。
「良い結界を張るじゃないか」
全てを防がれたにもかかわらず秋也は焦ることもなく宗司にこう言い放った。
「貴様…… なぜ魔術が使える!?」
そして、動揺していたのは全ての攻撃を防いだ宗司の方であった。
「ここは日本だぞ!? 他術は禁止されているはず!? なぜ使うとこができる!?」
「くだらん。 だから魔宗府は衰退して行くだけなんだ」
「なんだと……?」
「"鎖国"なんてのは時代遅れだっていってるんだ」
「だったら…… 俺と組まないか?」
「組む、だと?」
「魔術に心得があるお前なら、きっと仲間に入れてもらえる」
「………… 単独犯ではないと思っていたが、一体どこと組んでいるんだ?」
「神聖魔法会さ」
「………………」
「俺はこの神具を手土産に神魔会の第一騎士団に入れてもらうって計画さ。 どうだお前も来ないか?」
「馬鹿馬鹿しい……」
ただのテロ集団に興味なんてあるかよ…… それに第一騎士団に入るだと? いいように担がれてるだけだな……
「馬鹿馬鹿しいだと!? 貴様に神魔会の崇高な意志の何がわかる!?」
「本気で第一騎士団に入れると思ってるのか? あそこは実力主義だぞ? たかが神具一つで入団できるわけがない」
「黙れ! 魔術使いだからと誘ってやれば……! やはり貴様は我々とは相容れん!」
「なら早く続きを始めようぜ」
「その余裕…… 後悔させてやる!」
そう云うや否や両手に多数の札を構える。
「《風木津別之忍男神(カザモツワケノオシヲノカミ) 翻弄する風を操りし御力を我に御貸し給へ》 《流れるは風 流動するは大気 造り変えるは空間の亀裂 誘うは世界の狭間》 《風式舞》!」
そして演唱が終わると手にしていた札がまるで生物であるかのように宗司の手を放れ、不規則な動きで秋也の周りを包囲し始める。
「風の式神か……」
「俺を馬鹿にした報いを享けろ!」
主の声に呼応するかのように式神が一斉に秋也に襲いかかった。 だが秋也はそれに臆することなく素早く演唱を開始する。
「《具現するは天の裁き》 《一角獣は嘶く》(ディル=バルム)」
すると今まで何もなかった秋也と式神の間に閃光が起こり、その光の中から無数の雷撃が現れ次々と式神に命中して行く。 主の命により秋也に攻撃を仕掛けたことが仇となったようだ。
今までの不規則な動きは目標を攻撃するという目的のために単調化され、直進的な動きに変わっていた。 そこへの一撃は避けることなど出来ようはずもなく、ただ雷撃を甘んじて享受するだけであった。
「もう少し上手く使ったらどうだ? こんな使われ方をしたんじゃ式神が可哀想だぞ?」
「だ、黙れ!! 式神など所詮使い捨てのコマ! どう使おうが俺の勝手だ!!」
「クズが……!」
秋也は嫌悪感をあらわにし宗司に向かって毒付いた。 そしてこれまで後手に回っていた秋也が始めて先手を打つ。
「《駈け抜けるは真紅の火炎》 《闘牛は猛進す》(アズル=エヒト)」
収束された炎がまるでレーザーであるかのように宗司に向かって放たれる。 しかし、その破壊の矛先にはただ空虚な空間が広がっているだけであった。
「なに……!?」
そう、宗司はこの攻撃を予測していたのだ。 秋也は一瞬の間に宗司を見失ってしまっていた。
「《風刃》!」
宗司の声が秋也の頭上に鳴り響く。 その姿を秋也が捉えた時にはすでに遅く、風刃は避けられない位置にまで迫っていた。
「ちっ……! 《防御強化》(ディクルス)!」 無数の風刃が無防備だった秋也に命中する。 それはまるで針の雨が降り注いでいるかのようであった。 秋也も身体強化の魔術を自身に施したが、演唱を省略したため効果は1/4ほどしかなく、致命傷を避けただけとなった。
しかし、秋也にとってダメージなど無関係である。 敵は上空、つまりこの状況で体勢を変えることは不可能、に加えてこちらにダメージを与えたと油断している。 つまりこれは絶好の好機なのである。
「《荒れ狂うは碧野の烈風》 《鷲鷹は舞う》(ウィル=アルス)」 「なんだと!?」
やはり着地前で体勢の不安定な宗司にとってこの攻撃はまさに青天の霹靂であった。 秋也のように身体強化の術など使えるはずもなく、宗司は放たれた風の刃を全身で受け止める。
「ぐはっ……!!!」
呻き声を上げ、鮮血をほとばしらせながら宗司は地面に叩きつけられた。
「さっきのは中々効いたぜ。 俺を殺れるほどじゃないがな」
「き、貴様……」
「そろそろ盗んだ神具を渡したらどうだ? 俺の目的は神具の回収だけだ。 素直に渡せば命は助けてやるぞ?」
「ふざけるなよ…… これを盗むのにどれだけの時間と手間をかけたと思ってるんだ!? 俺は絶対にこれを渡して第一騎士団に入るんだ!!」
「なら俺は奪い取るだけだ」
「このままで終わると思うなよ……!」
「よくそんな身体で粋がれるな?」
「奥の手ってヤツさ……。 受け取りな!!」
そう言い放った宗司は今までとは違う札を一枚取り出した。
「《血の契りは強く 肉体の契りは深く 魂の契りは堅く 契約の楔は我等を縛りつける》 《我は契約に従い汝に糧を与えん者なり 我の姓は緋山 汝の名は蜘蛛》 《現世に呼びて肉体を与えん》 《召霊陣》!!」
宗司の周囲の空間に歪みが生じて行く。 何も存在しない空間に異様なまでの緊迫した雰囲気が漂い、目では捉えることができない"何か"が蠢いていた。 それはとても禍々しく、精神力のない者ならその空気に触れただけで意識を持って行かれるほどであった。 そして、まるで空間を喰い破るかのように姿を形成して行く。
そこに現れたのは暗褐色の膚に太く長い脚を八本持ち、10tトラックほどの大きさもある「蜘蛛」であった。
「土蜘蛛、なのか……?」
「ああ、土蜘蛛さ。 緋山家特製のな!!」
宗司の叫びと共に蜘蛛は秋也を捕らえようと糸を吐き出す。 だが、それは糸というよりもむしろ弾力と粘着性のある鎖のようなものであった。
その上、高速で吐き出される糸はさながら弾丸のようで、命中すれば捕らわれるだけの問題では済まず死に至る可能性を秘めていた。 もちろん一度の攻撃で糸は一本ではなく無数吐き出されている。
「ちっ……! 《身に纏うは紅蓮の業火》 《火鼠は躍る》(アズル=カルト)」
秋也はその糸に対し炎の槍を一発ずつ撃ち込んで行く。 いくら糸が鎖のようだと言っても所詮は粘液である。 燃やしてしまえばいいのだ。
その上、糸は蜘蛛本体まで繋がっている。 防御がそのまま攻撃となる。 だが、炎は糸を伝い蜘蛛本体にまで到達するかと思われた時、蜘蛛の瘴気によってかき消されてしまう。 どの糸を伝っていった炎も全て同じ結果となってしまった。 その力は明らかに土蜘蛛の力を逸脱したものであった。
「この力…… "傀"!?」
"鬼"
それは太古の昔から日本の存在し、古くは奈良時代の「日本霊異記」に登場する死霊、怨霊の類である。 その姿は各史書により異なっているが、実際は無形と言っていいだろう。
鬼とは元は負の感情からできた小さな霊に過ぎないのだが、それが死霊や怨霊などを喰らうことにより肥大化し、力を付けたモノなのだ。 よって定型などなく、取り込んだ霊の数や種類により姿を変容して行くのである。
しかし、殆どの鬼は他の霊を取り込む前に滅せられ、本当の"鬼"になるものなど皆無と言っていい。 だからだろうか? 現在確認される"鬼"は人の手によって人工的に創られた"傀"(オニ)ばかりなのだ。 日本の魔法師に依頼される鬼狩りとは、基本的に魔法師によって生み出され、手に余るため使役されずに野に放たれた"傀"を狩ることを指している。 もしも本物の"鬼"が生まれたのであれば、それは人の手におえる代物ではない。
"鬼"は喰らったモノから人格を形成し、知性を得ていく。 そして、それぞれ個性の違う"鬼"が誕生するのだ。 そういう"鬼"は狡猾で、殺戮を娯楽のように繰り返す。 しかも、知性があるために魔法師に見つからぬよう行っていくのだ。 それは魔法師を恐れてのことではなく、ただ自分の娯楽にルールを与え、スリルを味わっているかのようである。
そんな"鬼"の中にも序列があり、序列第一位から第十位までは『十鬼』と呼ばれている。 この第十一位以下の序列は魔法師達が勝手に名称を与え格付けしたものだが、第十位以上は"鬼"達が自分達で決めたと云われているが、定かではない。 その十鬼も全ての居場所は把握されておらず、現在わかっているのは二鬼が封印されているということだけである。
「そうさ! こいつは土蜘蛛と傀を合成させたモノだ! いくら鬼の劣化物だといっても人の手に余るからな! こうやって式神と合わせて使役するのが一番安全で効率的なんだ! どうだ? 今から泣いて謝れば腕一本くらいで許してやるぞ?」
「それはこっちのセリフだ。 分が悪いのはお前の方だからな」
「…………」
「いくら土蜘蛛と融合させたからといってお前の魔力量でこいつを維持するのは無理だ。 となれば足らない魔力を生命力で補うしかない。」
「だからどうした……!」
「このまま長引けば死ぬのはお前だ。 どうだ? 俺の推測に間違いはあるか?」
「確かに貴様の言うとおりだ。 だが俺の生命力が尽きる前に貴様を倒せばいいだけのこと! こいつにはそれだけの力がある! 誰にも負けない力がな!!」
その叫びが止まっていた時間を再び動き出させる。 蜘蛛は先ほどと同様に糸を秋也めがけて吐き出すが、秋也は先ほどと打って変わって迎撃せずに素早い動きで蜘蛛を翻弄して行く。 しかし、糸の合間を掻い潜り本体に近付いても蜘蛛の八本の脚に攻撃を遮られ後退してしまう。 それならば、と今までとはまったく違った術式を組み始める
だが蜘蛛の攻撃はその間も止まることはなく、回避と集中という二つのことを同時に行わなければならなかった。
「今の時刻は0時47分か……。 残り時間は73分、余裕だな」
「《世界を治める"気"の流れに潜む守護の神々よ》 《現世に姿を現し我が敵と対峙せよ》 《玄武召霊》」
その言霊が秋也の周囲の大気を収束させ、飛んでくる糸を退けながらある形を固定させて行く。 それは先ほどの蜘蛛の時とは異なり、神々しく全てを包み込むような優しさを含んでいた。 少しづつ形成されていく姿はとても美しく、猛々しい。
まさに神格を有しているモノの輝きである。 そして北の守護神『玄武』がここに姿を現したのであった。
「風水術か……! だが、風水如きで俺の鬼蜘蛛に勝てると思うなよ!」
蜘蛛は玄武など眼中にないかのように秋也めがけて多数の糸を吐きつける。
だが、その糸は秋也を庇うように立ちはだかる玄武から発せられる冷気によって全て凍化され粉々に砕けていく。 そして玄武は蜘蛛の姿を確認すると、鋭い眼差しで睨みつけ、大気を揺るがす程の鳴声を上げた。 その鳴声は氷の波となって蜘蛛に襲い掛かる。
体格の大きな蜘蛛が俊敏に動けるはずもなく、その波を正面から全身で受け止めるしかなかった。 それでも宗司は焦りはしなかった。 なぜなら蜘蛛の身体は瘴気によって護られているからだ。
しかし、その余裕は呆気なく崩れていく。 玄武が作り出した氷の波は瘴気など無関係であるかのように蜘蛛に命中したのだ。 そう、氷の波は瘴気で防ぐことのできるレベルを優に超えていたのだ。
「グオオオオオオオオオオオオ!!」
蜘蛛が奇声を上げ、身体から血を迸らせる。
「鬼蜘蛛!? 馬鹿な!? 風水術で呼び出された玄武如きにどうして傀を宿す蜘蛛が力負けする!?」
「固定概念に囚われ過ぎだ。 扱う人間によって同じ魔法でも力が増減することぐらいお前だって理解しているだろ?」
「そのくらいの事は分かっている!」
「分かっているなら現実を直視しろ。 俺の召現はお前の式を上回っている」
「勝手なことを……! いくら個体差があるからといって基列が変わることなどありえん! やれ! 鬼蜘蛛!」
しかし、蜘蛛は体勢を元の状態のままで維持させているのがやっと、という感じであった。 攻撃などできようはずがない。 それでも主の命令に従おうとするも、体勢を崩してしまう。
「どうした!? 早くやれ!!」
「そんな状態の式をまだ戦わせるのか……?」
「たかが一撃当たったぐらいで動けんはずがない! さあ! やれ!!」
「………… お前に使役されている式が可哀想だな。 玄武、楽にしてやれ」 その言葉を聴いた玄武はまた一つ鳴声を上げる。 すると今にも崩れ落ちそうな蜘蛛の真下に魔方陣が浮かび上がり氷の魔法が発動し、無数の氷の柱が次々に蜘蛛の身体を貫いていく。
「グオオォオオオォォオォォォ…………」
蜘蛛は断末魔の悲鳴を上げる。 そして貫かれた箇所から徐々に身体が凍化していき、全体へと浸透していく。 全体が凍化したとき、氷の塊へと変わり果てた蜘蛛はバラバラと崩れ去り、後には何もなかったかのように肉片一つ残らず消滅した。 その終焉を見届けると秋也は術式を解き、玄武を構築していた気を空気中へと拡散させる。
「俺の鬼蜘蛛が負けただと……?」
「これで解っただろ? 魔法師の力量次第で基列などどうとでもなる」
「………… なぜだ? なぜ貴様はそれほどの力を持ちながら掃除屋をやっている?」
「お前には関係ない。 さっさと神具を渡せ。 ここで俺に殺されるよりマシだろ?」
「ふっ……」
「………… 何が可笑しい」
「俺はまだ負けてないぞ……」
「なに……?」
「俺にはまだ…… こいつがある!」
そういうと宗司は盗んできた神具と思われる鏡を取り出した。
「それは…… 法鏡雨清(アマキヨ)!?」
「この力を解放をすれば貴様など……!」
「馬鹿な真似はよせ! そいつがどういう神具かわかっているのか!」
「そんなこと知るか! この状況を変えられるなら何だってやってやるさ!」 そう言い、宗司は天高く雨清を掲げる。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉ!!」
掲げられた雨清から眩いほどの光が発せられ宗司の身体を包んで行く。 だが、その光は力を与えるモノではなかった。 徐々に身体から活力を奪っていく。 そう、それは魂を身体から吐き出させているかのようであった。 この眩い光は最期の瞬間に魂が作り出す極彩の輝きなのかもしれない。
「な、なんだこれは……!? ち、力が……!」
「雨清というのは呼称だ。 その法鏡の本当の名は天へ逝くと書いて"天逝"(テンセイ)。 地上に存在する魂を強制的に消滅させるためのモノだ。」
「そ、そんな……」
「一度発動すれば、誰にも……、止められない……」
秋也が状況を説明している間も魂は器から拡散して行き、眩い光も収まりつつあった。 それは宗司の"死"を意味していた。
「嫌だ……、俺には、俺にはまだ……! まだやるべきことが……、あるんだぁぁぁぁぁぁぁ!!」
その叫び声が響くと同時に光が収まり、宗司は糸が切れた人形のようにその場に倒れこんでしまった。 地面に倒れている身体は魂が抜け落ち、ただの肉塊へと変貌していた。
「馬鹿野郎が……」 そう呟いて、宗司の側に転がっている雨清を拾い上げる。
「こんなモノにどれだけの価値があるっていうんだ……。 死んじまったら、意味ねぇだろ……」
秋也は雨清をポケットに捻り込み、その場を後にする。 その姿はどこか物悲しく、勝者というよりもむしろ敗者であるかのようであった。